お彼岸-中日前後


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お彼岸中日までに所用があって動くので、
15日にテントを外した。
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中日のお参りも終わった21日。
ザゼンソウも咲いている。
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フキ。6月には一面にフキがなる。
刈って、報恩講お斎用に漬けておく。
あっというまに、その時がやってくるはずだ。
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手前、梅。奥の茶色の葉は栗。
西方浄土の木なる栗の木…だ。
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椿
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力士碑
向かって右「故い佐助(かながしら佐助)」、左「故七五三守(しめのもり)」
後の木はタブ。右は棕櫚。
「飯田町では、西勝寺(さいしようじ)境内(けいだい)の大タブの下に「故七五三守」「故い佐助」と書いた珍しい相撲取碑が建っている。「七五三守」は「しめのもり」、「い佐助」は「かながしら佐助」と読む。「七五三守」は、鍛冶町助八家の次郎で、次郎は、顔役で力士。一時期酒屋を営んでいたという。碑は高さ一・三二㍍、最大幅一㍍、厚さ三十三㌢。天保(てんぽう)年間(一八三〇~四四)に建てられたと伝わってきた。「い佐助」は、浅田鉄次郎(彦治)氏で、鉄次郎氏は、明治十九年(一八八六)から四十四年まで、町の二代目消防組頭を勤めた。医師佐野春庵(しゆんあん)氏が「い(仮名(かな)がしら)」と名付(なづ)けたといい、飯田町消防団の纏(まとい)が「い(かながしら)」であるのも、同じ由来(ゆらい)による。大正初年に若山町中田から石を引っ張ってきて建てた碑といわれ、高さ一・一七㍍、横幅九十七㌢、厚さ三十七㌢。彦治氏の先代または先々代が、榎本(えのもと)武揚(たけあき)軍に従って函館(はこだて)五稜郭(ごりようかく)で行動を共にしたといい、函館の港公園の碑に名が記されているという。」(『伝説とロマンの里』飯田高校百年誌より)

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リュウキンカ(立金花)
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ジンチョウゲ沈丁花