高校相撲金沢大会100年、満座相撲、「能登の暮らしに息づく相撲」

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依頼を受けたのはいつだったろう(調べたら12月22日だった)。
高校相撲金沢大会が100回を迎える。
高校野球よりも古い歴史を持つ大会が100年を迎える。
私には、能登はなぜ相撲が強いのか民俗学から見た目で書かないか、という話しだった。
去年、加能民俗の会副会長を辞め、真宗習俗一筋のつもりでいるのは私の勝手であって、形に見えるようにはやっていないのだし、
まぁ、古くからつきあいのある編集者が、生活の場での相撲の歴史との関わりを一本との構想が浮び、時期的に遠藤が休場する前の話でもあり、かつて横綱・輪島もいたことから、
能登はなぜ相撲が強いのかだったのだろう。


相撲からは私が浮かぶわけはないから、民俗の一点からのだったのだろうし、
私の方は、どういうわけか、満座相撲が忘れられて、もとから神事相撲のように言われている、谷釜さん(日体大学長、富来出身)の論文も忘れられている、ということをこのところあちこちで話題にしていた。
そこのところを、書かなくてはと、ついお話しに乗ろうとしてしまった。
切り口は、唐戸山満座相撲一点である。


続いて浮かんだ構想は、
満座相撲の他に
まず、富来の伝説・民話集に載っていた「来年のことを言えば鬼が笑う」から、柔よく剛を制す相撲。
子供のころ、友達と取った相撲。
映画「名寄岩ー涙の敢闘賞」「若乃花ー土俵の鬼」の思い出
能登各地で行われていた相撲データー、唐戸山大関の数々のエピソードなども準備したのだが、量が多すぎ、また、
全体テーマーとはずれていき、
結局本文のように収まった。

かなりの資料から選んだことについて書いたので、
面白い視点から相撲文化を覗けたのではないかと、思っている。


その間に、子供のころ西勝寺大庭で行われた相撲が何であったか
戦前、飯田町から唐戸山相撲に参加した人の話しなどを聞くことが出来たし、
高校生になって、他中学の生徒と最初に友達になったうちの一人が、相撲部の生徒だったことも思い出していた。
私は陸上部に入っていた関係で、クラブが終わってから、彼の家方面へ向かうバス待ちのため、夕暮れ時の飯田桟橋で海を眺めながら時を過ごした。
その時、いつも歌ったのが、♪あれが岬の灯ーだ(橋幸夫「」)だった。
今も岬が見える光景の中では、そのメロディーと共に、彼を思い出す。
成人しても祭りの行き来もして、仲の良い友だったのだが、30代に亡くなった。
その友に語りかけながら文を書く、ちょっと楽しい日々が続いたのである。


雑誌は定期購入しているので、発売日前日(29日)に届く。
写真の2枚目は、本の目次。
3枚目は北國新聞、今朝の朝刊に載った宣伝。
ずいぶん違うものだ。


高校相撲
遠藤が決勝で勝った瞬間の写真
輪島が決勝で物言いがついて負けた瞬間の写真など
垂涎ものの写真が多く掲載されている。


執筆者の
嵐山光三郎
とは、能登空港の宣伝で東京銀座でシンポをしたし(有田明子さん・フォトジャーナリスト・も一緒に話した)、
安部龍太郎氏は、デビューのころ、名古屋で開かれた西のぼる氏出版パーティで宴席を共にしたし、こちらからはちょっと知っている人たちなのなのだが、それ時だけ。
やはり、陸上部員だった私が、練習あいまのあんこ型の友を飯田高校相撲場下で、ふざけ半分に両はずで押し、いつも、やめろやめろと笑っていた亡き友が、相撲を書くなんて、と側にいる。


『北国文華』に執筆なさっている橋本俊一さんは、羽咋工業時代に夕食をいただいていたお店のお兄さん。
能登国三十三観音のたび』を出版した時、あのときはお世話になりました、と一冊持って訪ねている。
陶山さんは教員時代、見たことがある。
そして2人とも「北國風雪賞」を受賞なさっている。
昨年、加能民俗の会会長が受賞したのではなかったかな…違っていた北國文化賞だった。しかも2013年だった。


年がいくと、経験、たまった情報が多いので、話がドンドン移っていく。


サー次だ。