今村充夫さん、北陸3県民俗学会

歴博で北陸3県民俗学会が行われていた時間帯に、偶然今村さんの葬儀が金沢駅西で行われた。
この時期は、時間の余裕があるので、3県民俗には最初から出る予定でいたのだが、午前中に遠方からの来客があり、2時頃に歴博についた。
コメントを求められたので、ちょっとした今村さんの想い出を話し、葬儀の日に三県学会が開かれているのは、加能民俗が最も元気だった頃、会長を務めたあの方をこれ以上はない形で送ることになったのではないか…のようなことを話した。
加能関係者では、来てるかも知れないと思っていた方々の姿は見えず、
代わりにと言っては何だが、富山、福井で会いたい人に会えた。


ところで、
私は、加能民俗の会の副会長だったが、役員会が冬の日曜日にしか開催されることはなく、12月の5学会にも参加出来ないので、副会長を辞退し、一般会員として関わっていく申し込みをしていた。
会長は副会長は何人いてもいいので…と言っていたこともあって、希望がかなえられたのか、そもそも話し合いがあったのかどうかもわからないまま、
このところ、民俗関係の取材・執筆が続いていたこともあり、肩書きをどうすればいいのか迷いながらいた。
記事やTVコメントは次の通りである。
7月28日以降の新聞取材
キリコ祭り(北國4回)
半島に刻む(中日2回)、
雑誌「能登」の伝説およびキリコ総括記事。
それにブログには書かなかったが8月25日のNHKTV石川のニュース時間帯の「石川の壺」でのコメント。
仕方が無いから、民俗研究家で通した。
今日(30日)幹事に尋ねて、初めて希望通りになっていることを知った。
民俗の本筋に帰って、こらからは一会員として対応できる。


発表を聞きながら、かつての
今村さんや林昇さん、北島俊朗さんはじめ、暖かい共同体が待っているようだった民俗の会を想いだしていた。
現会長も、当時を知っておられるだけに包み込むような雰囲気で会を運営なさっておいでるが、
実質会員の中心者が、研究室にいて文献操作の人しかいなくなったことに寂しさがある。
しかも、暖かさとは反対の先輩たちの負の部分を取り上げ、それが理論だと思っている人までいる。
世知辛い世に、そんな話をわざわざ聞きに来る人はいないだろうし、去っていく人が多いのは仕方が無いのかもしかない、とも思っていた。


民間にいる私などは、いい年なので林さんや、北島さんのように、よー来たよー来たの立場にならなくてはいけないのだろうが、真冬に総会をやるのは、白山麓能登から来るなと言ってるのと同じだと主張し続け、ようやく今年から春に総会が移ったように、参加しにくい一部の人々の会になっていた。今年の総会も、日曜日だったので参加出来なかった。
中心になっている方々は、かつて多くのフィルドワーカーがいて、その間隙を縫って文献をやってきたような方々だが、もう長老なのだから、どうしたら広い民間の学を伝えていくことができるのか、誰でもが楽しんでやれる民俗とは何か?を考え、若い人々を誘わなければならなかったのではないか?


そんなことに思いを巡らしていて、シンポ後には
福井、富山民俗の方々と言葉を交わし、久しぶりに民俗世界に出会った気がして、少しホーとし嬉しかった。



30日昼頃に家を出たので、午後のシンポしか参加することが出来ず、今村さんの葬儀にも行けなかったので、31日今村さんの家を訪ねた。
誰もおいでにならず、カギがかかっていた。
近所の方の話では、奥さんも4月にお亡くなりになっておられるとのこと。



あの方が愛した町、昭和62年に『大野日吉神社千二百五十年祭記念誌』を監修なさった日吉神社などを散策した。
2年前に訪ねたときにはなかった参道が新しく設けられているなど、ずいぶん様子が変わっている。
監修時から28年、当時を想像しながら歩く金石・大野道。
私なりの追悼散策である。
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北陸三県民俗学
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今村家
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日吉神社参道
大野湊神社の北東、
京都で言えば比叡山=山王を意図しているのだという。
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四高漕艇部ボート置き場。
前に尋ねたときと雰囲気が違っている。
川が見えない。

2012年の同地


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大野川。