20日の秋祭り

20日が飯田の秋祭り。
子供のころ、「飯田の祭りかただの日か」とか、飯田には年に13回半の祭りがあるなどと聞いた記憶がある。
20日は恵比寿の日、漁業の吾妻町、商業町にらしい日取り。
昔は、神社前にキリコが勢揃いしている中を、巡行を終えた御輿が到着し、
その御輿を帰社させないよう、キリコが一基ずつ動きだし、取り囲みながら全体が揺れるながら、宮前に近づいていく、という祭りだった。
笛・太鼓・鉦が秋の冷気の中にコダマし、大勢の人が見に集まる勇壮さがあった。
御輿が7、八基のキリコの間をすり抜ける頃、最後に吾妻町のキリコが行く手を阻み、
そこも越えて、階段を一気に駆け上ると、その後を、キリコが追いかけ階段を上る。
担ぎ手が揃っていないと、階段はなかなかあがれず、
子供心に手伝おうと思ったものだった。


○○町内が御輿し当番の時、執拗に宮入を阻まれたので、のこぎりを持ってきて、キリコの四本柱を切ったとか、切ろうとした、という祭り伝説も聞いた。


今は、担ぐこともなくなった代わりに、
19日にもキリコが各町内を回っている。
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写真は19日。中秋の名月の下を行くキリコ。
七夕は5日に寄付集めに町内を回るのだが、秋祭りは20日だけだったような気がするのだが

20日恵比寿

飯田の灯籠山(とろやま)祭りが7月20日、秋祭りが7月20日
国指定、熊甲20日祭りが、9月20日
久麻加夫都阿良加志比古神社は、熊木川上流、虫が峰の麓にあり、奥深いところにある神社のように見えるが、元は七尾湾瀬嵐(せらし)に上陸し、弓を放ってその弓が届いたところを社地にしたという伝承があり、やはり恵比寿(豊漁)が元にある。
上の写真が、瀬嵐から船で出発する枠旗。
恵比寿が担ぎ棒のところに置かれ、大幡の下部には猿の子が結え付けられている。
中島町史の為、平成4年頃撮影。
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夜明け、瀬嵐を出て、熊木川・中島の宿へ向かおうと準備を進める枠旗一行。
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