常田富士男さんと歩く 加賀・能登むかし話の旅 朗読会

原作を書いて、脚本を見て気づいたところは提言している「加賀・能登むかし話の旅」。
これまでに、
「引砂のさんにょもん」4月
「三匹の猿鬼とシュケン」5月
「千石の豆の木」6月
「恋路物語」7月
「ミズシの詫び証文」8月
それに今月は
「千の浦又次」と「七窪ぎつねと地蔵」
に関わった。
関わっているのだが、放送しているケーブルテレビが珠洲では映らないので、
常田さんの語りも、映像も、何も知らないでいた。

七尾で、三話の朗読会があるというので、企画段階から出かけることにしていた。
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いずれも、関わった作品なので、どのようになっているのか興味津々
関係者といっても、応募せずに会場に入れたというだけで、出演者の誰に会うわけでもなく始まるのを待った。

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「三匹の猿鬼とシュケン」の一場面。
素晴らしかった。
語り、映像、音楽。
観客は、おかしなところでは笑い、
恐いところでは息をひそめ、
語りと映像の世界に引き込まれ、
舞台と一体となっていった。
一緒に常田さんと語っているような暖かい雰囲気が全体を包んでいく。
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タイトルに、名が載っていた。
語り 常田富士男
監修 西山郷史(加能民俗の会副会長)
脚色 なかむらとしひこ
作画 久村秀夫(ステージアウラ

最初の画面はいずれも同じである。

初めて画面を見たのだが、
印象は、新聞だけでなく作品でもちゃんと関わってたのだ…、だった。
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終わって、
控え室があるのなら顔を出すべきなのか、そのまま帰ればいいのか、
まあ、帰ろうと最後の方に会場を後にすると、
出口で、常田さんが一人一人と握手をなさっている。
小さい子、車いすの人には、特に丁寧に話しかけられておられた。

もちろん、私も握手をしてもらった。

今日の新聞記事

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この通りなのだが、
さんにょもん保存会の浜田舜英さんも出演され、
能登三話(七尾市二話、珠洲市一話)の語りの後に、
常田さんが
すばらしい、童話を語られ、
歌もお歌いになった、
それが載っていない。


その話を聞いていて、ジーンときたので、
何という話しで、歌の謂われなど…、お話をメモした。
それが、今日になってメモを捜してみるのだが見つからない。


語りは、「姿の見えない猫」の話しで、
歌は小室等との共同作品か何かだった、との記憶を頼りに
調べていくと、捜し出せた。


話は「なにもないねこ」(別役実作)
「(前略)
 そしてそこに、なにもないねこも、おりました。
なにもないねこには、めもみみも、はなも、くちも、あたまも、どうたいも、あしも、しっぽも、なにもないうえに、そのかわりにもなにもなかったので、だれもそこに、そんなねこがいるなんて、しりませんでした。
 そのなにもないねこをうんだおかあさんねこも、うんだとおもったところがなにもないので、うまなかったのだとおもってわすれてしまいました。
「うまなかったのかい?」
「だって、なにもないんですもの」
 そういって、おかあさんねこは、おさかなのほねをさがしにいってしまったのです。
 ですから、なにもないねこはいつも、ひとりぼっちでした。
ときどき、やねのうえから、あおいそらと、しろいくもをみあげて、ほっと、ためいきをつきます。
(以下略)」
この話の、素晴らしい語りのあと歌われたのは、
「きっと私は」(「スパイ物語」より)



きっッと 私は
おなかが空いていて
きーッと 私は 
さびしかった


空には 空がァあって
海には 海がァあって
山には 山がアあった
けれども
私には見えなかった


風のささやきも
小川のせせらぎも
私には 聞こえなかった


赤いバラの花も
フランスコーヒーも
私には 匂わなかった


どんな ふるさとも
私には


思い出せなかった


きーっと 私は
おなかが空いていて
きーっと 私は
さびしィかったァ
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