従兄の葬儀、お彼岸など。

17日(月)皆月善行寺住職・宗議会議員松岡元雄さん(74歳)が息を引き取られた。
故叔母のお寺のご住職で、すぐ弔いにと「思へども」、
往復3~4時間かかる距離にあって、17日は身動きがとれず、
18日に弔い、
19日納棺、
20日部屋名残のお勤め、お通夜(お説教)
21日葬儀、還骨、初七日(お説教)
と4日間通った。
お説教では、
愛別離苦の苦、黒闇を開く大応供(だいおうぐ、阿弥陀仏)の働きを、その晩・旧暦8月3日の月と結びつけ、
伝明法坊(弁円)の歌「あだ(怨)となる弓矢を今は引きかえて西へ入るさの山の端の月」
それに、遍照十方世界念仏衆生摂取不捨のこころを「月影のいたらぬ里は無けれどもながむる人の心にぞすむ」(法然上人)の歌で説明なさった蓮如上人のお心、ながむる人とは、念仏を喜んでおられる人のこととおっしゃっているのだろう…と、60有余年の従兄を偲びながら、
平生業成ー皆月の夜のお話をさせていただいた。

お彼岸 

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太陽がこの山に沈む。
彼岸の中日にお寺から見て真西に沈むときに太陽を光背としているように見える。
それで阿弥陀山という。
右の木の点となっている光が太陽。
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「お彼岸」の案内。
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西勝寺は真南に面している。
善行寺は真西に面している。
彼岸頃には、真正面の海・皆月湾に太陽が沈む。
その光景を、元雄氏は74年間の間に、何度も何度も見ていたはずだ。
(お寺からの秋の湾の光景。この二枚の写真はかつて撮ったもの)
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19日、弔いに来て行かれたという、元雄氏の教え子でおそらく彼が顧問をしていた時の柔道部員でもあったのだろう、
能登高校の椿原美津範先生(55歳)が、
その深夜、動脈瘤破裂で亡くなられた。
調子が悪いということで、救急車に電話をされ、そのまま息を引き取られていたそうだ。


無常


私が高校に勤めていた時、初任としておいでになった方だ。
同じ門前町でもあり、21日、初七日のあと山里のお宅に
お弔いにうかがった。
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たぶん、2004年度の「ふきのとう祭り」。
宮座制が続く、この行事で
彼は、草分け家の1人として、新旧の当親(当元)が無事移行するかを見届ける役を担っていた。