「勿体(もったい)なや祖師は紙衣(かみこ)の九十年」、「勿体なや祖師は紙衣の五十年」句仏人、【2月27日、2月6日】


句仏上人【明治8年・1875・2月27日~昭和18年・1943・2月6日】とは、東本願寺第23世彰如上人(光演)。
句で仏教を広めようとの願いをお持ちになり、膨大な句をお作りになったと伝えられている。
代表作が「勿体なや…」で、
私は「散る時が浮かぶ時なり蓮[はちす]かな」も好きだ。
能登を愛でられ、「いつ来ても能登はなつかし野菊咲く」などがある。


ここで取り上げたのは、古い写真を整理していて、
かほく市今浜で撮ったのではないかと思う親鸞聖人像の写真が出てきたから…。
その像の右に何かを刻んだ碑がある。写真だけでは分からないのだが、スキャナーで取り込み、パソコンで大きくすると字が読めることがある。
その手で碑を見ると「勿体なや…」の句と聖人が被って歩かれたであろう笠、杖の絵を組み合わせたものだった。
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勿体なや…と笠杖の絵…
この図柄は最近見ている。
今年3月、穴水鵜川組坊守会の会所をなさったお寺に勿体なや…と絵を組み合わせた句仏上人の軸に出会ったのだった。
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句仏上人が絵も上手だったことは、芥川龍之介が書いている。
俳画書画展を観て」(芥川龍之介全集 第二巻 岩波書店。p388)
「(前略)それから句佛上人が、畫を描かせてもやはり器用なのに敬服した。上人は『勿體なや祖師は紙衣の五十年』と云ふ句を作った人である。が、上人の俳畫は勿論祖師でも何でもないから、更に紙衣なんぞは着てゐない。皆この頃の寒空を知らないように、立派な表装を着用している。(後略)」


本文の引用文を書いていたら、おかしなことに気づいた。
芥川は「紙衣の五十年」と書いている。
このことについて、堀前小木菟という方がブラジルで句仏上人のご子息露庵(白露)という方から聞いた話を書きとめた文がある(『自然のままにー彰如上人五十回忌法要記念随想集』p84)。


「(略)『当地ローカル紙のコラムに〈勿体なや祖師は紙衣の九十年〉の御句をとりあげ、最初〈五十年〉と詠まれたが、後に聖人の没年を考え〈九十年〉と訂正されたとありましたが、これは本当のことですか?』
『そのようなことは聞いていない。はじめから〈九十年〉だ。句の師匠の碧梧桐が訪れたとき、たまたま風邪に伏しておられた。そのお蒲団があまりに粗末に見えたので、
お粗末に見立てまつりし蒲団かな 碧梧桐
という一句をたてまつったところ、そのお返しに
勿体なや祖師は紙衣の九十年 句佛
とお作りになったと聞いている。」


どちらにしてもほのぼのとした、いい話だ。

8日(土)

穴水・鵜川組坊守会。
途中で写真を撮っていたら、ギリギリの時間になった。
やむを得ず、コンビニでおにぎり・サンドイッチを買い、ダム湖を眺めながら昼食。
この癖というか、バタバタせっかちさは、どんどんひどくなっている。
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八ヶ川ダム湖