極楽橋ー穴水・鵜川組坊守会ー

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7月21日(木)
法性寺さんで。


2つの川が穴水湾に流れ込む要所にお寺がある。
極楽橋という橋が架かっていた。
震災前は木造の橋だったのだろう。


本堂よりの木札には次のように記されている。
「現在の法性寺さんが天台宗のお寺(開山景山和尚)として本町岩車にあった頃、字川島に真言宗で僧祐圓を開基とし、穴水南北十六坊中の一に数えられた、法満寺の前身のお寺(寺名不詳)があったという。
この二ケ寺は共に文明年間(西暦1486年以前)浄土真宗八世蓮如上人が越前吉崎に居られた折、これに帰依改宗し、そのうちの一寺が法満寺と改称したという。
一方、穴水町役場備付の字川島イの部の公園には、俗にいう赤線(通路)は、戦後廃寺となった法満寺(現在の浅田洋服店)の敷地と民有地との間を通り真名川の支流に達しており極楽橋も現在地より約30㍍程上流に架かっていたのではなかろうかと推測される。
法性寺さんが現在地に建てられた頃、何かの都合で極楽橋も現在地に架け替えられたのではなかろうかと考えられるがもとより確証はない。
ともあれ、今から500年も以上昔の文明年間に架けられたのではなかろうかと思われるお寺近くの小さな木橋に西方淨土への往生を願い、「極楽橋」と名付けた先人の方々の熱い思いが、現代の私たちにもひしひしと伝わってくるし、このような先人がいてくれたことを私たちは心から誇りに思う。
仍て極楽橋の名が永久に伝えられんことを願い私たちは茲に橋名札を取り付けることとした。
願わくは意のあるところを後に伝えられんことを。
平成23年2月吉日
穴水町字川島 今町町内会」