能登の伝承歌ー金沢・高砂大学院OB歴史会ー

東日本大震災

11日、「斎(とき)はじめ」というお勤めを終え、中能登町金丸の親戚へ通夜・葬儀に、泊まりがけで出向く準備をしていた14時46分。
深い揺れをしばらく感じた。
東北・関東大震災東日本大震災の発生である。
その時の発表ではM7.9(後9.0に変更)。
映像を見たのは七尾のホテルに入ってから。
チャンネル切る前に、冗談だよ・ドラマなんだよ、と言ってくれ…と思いつづけるが
…。
午前3時59分、ホテルの6階がユラユラ揺れる(震源長野・新潟県境、M6.6)。


11日から1週間。


今朝の朝日新聞には、避難418、827人、不明17、328人以上、死亡5、694人以上と載っている。被災都道県は12。
不明の方々と珠洲市の人口17、327人(平成22年1月1日現在)とがほぼ同数、
普段の関わりがせいぜい2桁程度の生活、
能登半島ぐらいしか行動圏を持たないものにとっての12都道府県、
すべてが想像を越えてしまっている情報がずーっと続いている。
13日に門前に行く用事があり、今なお道路が直らず、同地区にある生活の場と本堂が別のままになっているお寺のことを思ったり、
14日の晩、お話ししなければならなかった場では、
チェーンメールが届いたのを機に、寛正元年の大飢饉をきっかけに、1年後に初めてのお文を著された蓮如上人に思いを馳せるお話をしてみたりしながら、胸を痛めているのだが、
具体的に宗派からの勧募要請も届きだしたりしているので、

「慈悲に聖道・浄土のかはりめあり」(『歎異抄』第4条)

をあらためて受け止め、問いながら、平生のブログにもどる。


本能とは感応道交だ、と指摘した文を読んだ。
そして、29日に、その感応が溢れているブログに出会った。
転載させていただく→メッセージ

この一週間

11・12日の親戚寺院のお通夜・葬儀以外にも、
14日、坊守会でお世話になっているご住職ご逝去につき、弔い(能登町
16日、叔父の100日法要(輪島市)。
17日、宇出津高校教員時代お世話になった方の弔い(金沢市八田町)
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八田へ向かう途中の河北潟

すでに予定に入っていた行事として
13日午前・門前寺院調査というか、思いで話語り
午後・羽咋双樹寺さんで12組門徒会、
15日親鸞聖人750回御遠忌団体参拝参加者勉強会。その晩、法要は中止の連絡。
16日団体参拝中止、代わりの被災者支援のつどいに対する対応会議(正院町)。

高砂大学院OB歴史会

17日(木)には金沢・高砂大学院OB歴史会月例会に出かけた。
珠洲から金沢に行かれた門徒さんがこの会の幹事。その方が間に入られお話しさせていただくことになり、昨年春の段階で、年度末のこの日と決まっていた。
予定が決まってから間が空きすぎていたため、別講義と重なり、この方は中止になった。
歴史会副会長の方が家まで挨拶に来られたり、今月8日にはレジメをお送りしていたので、レジメを見直す程度で準備が出来たが、
11日以降のバタバタの中で準備していたら、寝不足状態で金沢へ向かわなくてはならなかったかも知れない。
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300人ほど聞きにおいでるとのことだったが、さすが46万都市の老人会。
これはすごいと、奥の入り口でシャッターを切り、さらに奥の方へ行こうとしたら、講師先生を紹介します、とマイクの音が聞こえてきた。
ここ…!、ここ、と言いながら講師席向かった。
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能登の伝承歌・レジメ(PDF)
レジメは、能登の伝承歌で今のところイメージできるものをすべて網羅したので、
講話13時30分~15時。実質80分の中では
1枚目「梁塵秘抄」まで、2枚目は「能登はやさしや」のみのお話となった。
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会場・金沢市中央公民館彦三(ひこそ)館