「七つ七尾の天神さまよ」「七本の柱が七尾の天神」

今年の月遅れ「六日年越し」の日は、日曜だった。
年中行事とは関係のない現代の催し物があちこちで行われていたことを、あとでーニュースとか新聞でー知った。
地元では「がんばろう能登!! 珠洲のど自慢大会」が行われており、
その日向かった金沢では、シンポジウム「親鸞聖人の教え 北陸への道」が開かれていたとのこと。
私は、「加能民俗の会」の総会に出るために石川県歴史博物館へ行ってきた。
会長藤島秀隆さんとの長いつながりで、もう一期副会長をさせていただくことになったが、
金沢までの行き来は骨が折れ、よっぽど気合いを入れないと出かけられない。


歴博では、新春特別展「兎」を見て、
東條さやかさんの発表(「加賀万歳を学ぶ」)を聞いた。
その資料「御殿万歳(尾張万歳)」に「柱立て」という箇所があり、数え歌になっている。
一本の柱が一の御宮、真澄高尾の大明神よ
二本の柱が二の宮神社
三本の柱が榊の神社
四本の柱が弁財天
五本柱が津島の神社 厄除けなる御尊
六本の柱が正八幡
七本の柱が七尾の天神
八本の柱が八劔宮よ
九本の柱が熊野神社
十本の柱が十羅刹

四・五・六が対応していない。
瞽女さんが歌っていたという『浮世床』(「能登のくに」1号)に載る数え歌は
四には信濃善光寺さまよ
五には呉天の若宮さまよ
六に六角観音さまよ
七つ七尾の天神さまよ
となっている。
尾張万歳の歌詞は伝承がかなり乱れている、
にもかかわらず「七尾の天神」が出てくる。
七は、七つ成田のお不動様よ、が多いのだが、
七尾松尾天神の影響力もあなどれない…