赤木圭一郎・青木旅館・飯田スメル館

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能登のくに」第二号に新発見の黒峰城主伝阿部判官の画像を載せるため、人物名で整理しておいたフォルダーを開いていくと、「赤木圭一郎」が出てきた。
この写真は、高校1年の時、同級生からもらったもので、その同級生が撮ったものらしい。だから、おそらくその同級生周りの人々しか知らない写真である。
そういう意味では貴重な写真なので、3枚中2枚を紹介する。


ぼぁーとした記憶では、写真をもらった時期から、高校1年の夏に九十九湾(現能登町、旧珠洲郡内浦町小木)で日活映画「不敵に笑う男」ロケが行われたと思っていたのだが、調べてみると、この映画は昭和60年に封切られている。
小木中学出身の同級生がかなりおりながら、どうしてロケを見に行かなかったのか? 
漠然と感じていた疑問が今になって解けた。ロケは私の中学1年あるいは小学校6年の時のことで、ロケ地とのつながりが全くない時のことだったのだ。


小木中出身の生徒は皆、私の住む飯田で下宿した。そして、映画などを一緒に見に行くことになった友人(私のことだが)に、何年か前に撮っていた写真を焼き増ししてくれたのだった。
昭和35年封切りとなると、来年50周年を迎える。
その撮影の時、赤木圭一郎吉永小百合たちの宿だったのが青木旅館で、その建物は都市計画道路にかかり、一昨年、風格ある建物は立て替えられた。


その青木旅館の二軒隣に、日活映画を上映していた飯田スメル館があった。
中学生ではどうだったかという気はするものの、岬を回ったら宇出津(うしつ)の暴れ祭りをやっているシーンがあったことを覚えているので、ここで「不敵に笑う男」を見たはずである。


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2枚の写真は、いずれも小木、九十九湾で。
この頃は、湾の対岸を結ぶ渡し舟が出ていたはず。
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2年前の青木旅館。
国立歴史民俗博物館が出来る頃、当時の若手の民俗研究者たちが「あえのこと」見学に来ていった。その時、皆が泊まったのもこの旅館だった。
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この階段途中と、下の廊下とで圭一郎と吉永小百合が挨拶程度の言葉を交わしていたという。
映画では吉永小百合が(新人)となっているが、この頃の情報に詳しい本谷文雄氏によると、全くの新人ではないものの、地方ロケに出たのは最初ではないかとのこと。
当時、赤木圭一郎は、成城大学の学生だった。封切りの翌年の1961年2月21日撮影所でのゴーカート事故がもとで、若い生涯を閉じた。2月には50回忌を迎えることになる。
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飯田スメル館のスクリーン。
一昨年、調べに入った時の写真。
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二階もほぼ昔のまま。コの字型の作りになっていて、正面は5段ですべて畳が敷かれており、一番後ろはベンチ状になっていた。
最前列にはブリキを巻いた溝が設けられていて、たばこが吸えた。
今見ても、堅牢で手の込んだ作りだったことがうかがえる。



スメル館はかろうじて、内部の様子を留めているが、あとは過去の記憶になった。となれば、貴重な写真ばかりなので紹介させていただいた。