須恵器…そして追記ー珠洲市

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6日の日曜日。
当寺は「祠堂経」3日目であったが、
各地では様々な催し物、行事が行われた。


身近なところでは
「埋文出っ張り」(珠洲市中央公民館)が行われていた。
すぐ近くでは「三田明ショー」(ラポルト珠洲)。


秋山豊寛講演会」(能登空港)もあった。
演題は、「宇宙から見た地球・能登の大地ー宇宙特派員報告」。
これは石川を知る講座の能登空港5周年記念特別編。


能登では「鳥越の虫送り」
中島町史の時には、虫送りも重点的に調べて報告したので、
別立てでほぼ20年(間違い、ほぼ15年)の違いを記しておきたい。


金沢では「加能民俗の会70周年大会」が、飛梅町「金沢くらしの博物館」で。


関係しているはずなのに、関わることの出来ない行事があり、
同じに日に行うにはもったいない行事が、
一地域に集中することもある。


そういう中で、伝統行事であるお寺参りの人が、特に日曜日には少なくなる…
と思っていたら、
通りすがりの20代の若者が、ポスターを見たらしく、
お説教を聞いて行かれた。
七尾の人だという。


埋文出っ張りをやっていた頃
(もっとあとかな…?)
私は全く別の、あるところでお参りをしていて、
近くに珠洲焼だと思うのだけれど、
破片がゴロゴロあった…という話しを聞いていた。
すぐ見に行きたかったが、
白衣・間衣、草履ではあんまりなので、
そのうち見に行きますよ…と別れた後、
話してくださった方が、二つの破片を持ってこられた。


珠洲焼ではない、須恵器だ…と思った。
これが須恵器だ…の見分け方を知ったのは3月29日(「本江寺遺跡近くの出土品」)のことなのだが、
その知識が残っていた。


あとで遺跡地図を見ると、反対側の山にはかなりの数の円墳があるものの、
その場所からは、初めての報告となる。
あるいはこちら側にも古墳があるのかも知れない…。

ーお参り終わって…追記ー
ここまで書いて、石川県埋蔵文化財センター所長・湯尻修平さんに電話を入れた。
まず、昨日
「須恵器ですよ。珠洲焼より古いものですよ…」
と言ったのが、間違っていなかったかどうか…
それが知りたいのと、
間違いないとすればそんなに出てくる物ではないだろうから専門家に知らさなければ…
と、このブログを見てもらった。


すぐ返事をいただけた。 


思いがけない返事だった。


須恵器に間違いない…
ほー!


なんと、6世紀前半の須恵器だという。


どうしてそんなことが分かるの(だ)?…と聞いた。
模様の濃密で、埋文の職員なら大抵分かるという。

ホー!!


江戸時代の御詠歌発見…などと騒いできた私にとって、
6世紀は、ずば抜けて古い。
こんな世紀の話ははじめてだ。


そこで、須恵器の見方を教えてもらったきっかけとなった本江寺遺跡近くの須恵器を
今一度ながめてみた。
その破片は、9世紀とのことだったが…


確かに 比べてみるとかなり違う。


すごく納得した。
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写真は最初の絵(?)と対応