「盤持ち石」と田植え時の記憶ー輪島市

一度見ておきたいと思っていた盤持ち石。
調べて欲しいとの依頼があったので、日程を早め
28日に調べ、その日の内に写真にし、郵送出来るまでにした。
報告できる最短の日程だった。
ところが2日になって、封書が紙の下にあることに気づき、
結局最終予定の日にお送りすることになってしまった。
f:id:umiyamabusi:20080503002947j:image
お寺の境内に移されてある盤持ち石
f:id:umiyamabusi:20080503002942j:image
この下に用水が流れており、道を広げた時にそのあたりに落ちたのではないかといわれていた。
用水付近を捜すが見つからない。
そのうち叔父さんがあった、あったというので見に行くと、
丸い部分が地中に向いている盤持ち石があった。
f:id:umiyamabusi:20080503002941j:image
木々が茂っているが、昔はこの辺り一帯が棚田だった。
この広場で、田植えのあと、おひつに入った朴葉飯を皆で食べた記憶がある。
大きな葉っぱにくるまれた、きな粉をまぶしたご飯のおいしかったこと。
時々、葉っぱにくるんだおいしいご飯の記憶が蘇り、そのご飯の名を知りたいと思いながらいたのだが、それが朴葉飯だと知ったのは、随分経ってからのことだった。
母や叔父は、この広場で夕方になると力自慢が盤持ちを挙げ、賑やかだった光景を覚えているという…。
私には田植え風景だ。
左手の彼方には河原田川があり、その向こうに鉄道があって汽車が通っていた。
その汽車の記憶は、不思議と輪島方向に向かって走る列車ばかりなのは、
市ノ瀬駅を出てからすぐに鳴らす汽笛と結びついている記憶なのかも知れない。
夜汽車の窓明かりは「黄ダイダイ」色だった。