親鸞聖人・京都伝承の地

10月8日

浄土宗大泉寺

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『御伝鈔』「五条西洞院わたり、一つの勝地なりとて、しばらく居をしめたまう。」
常陸の国那珂西郡大部郷に、平太郎なにがし…
或時、件の平太郎、庶務に駆られて熊野へ詣すべしとて…聖人へまいりたるに…」
「はたして無爲に参着の夜、件の男夢に告げて云わく、
証誠殿の扉をおしひらきて衣冠ただしき俗人仰せられて云わく、
汝何ぞ我を忽緒して汚穢不淨にして参詣するや、と。
爾時かの俗人に対座して聖人忽爾として見え給う」の場面。
正面の衣冠正しき俗人は熊野権現
手前平太郎、
親鸞聖人。
まさか、平太郎に出会うとは思わなかった。
場所は伝九条兼実別邸花園院跡:淨土宗大泉寺。
流罪前結婚生活伝承地でもある。
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平太郎像 

真宗大谷派光円寺

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真宗大谷派花園殿光円寺。
碑には「五條西洞院月輪本荘 親鸞聖人御入滅之地 花園殿旧地」とある。
聖人・大部の平太郎、 九条兼実公、玉日ノ君御木像などがある。 

虎石町

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最も史実に近いとされる聖人入滅の地。
押小路南、万里小路東」聖人が愛でた虎石により虎石町名。
虎石は聚楽第を経て寛文10年(1670)、東大谷に。

青蓮院植髪堂

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聖人の母吉光女が聖人得度の歳、剃髪した髪を像に植えたと伝承。

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「正明伝」「柳裏ノ五衣ニネリヌキノ二重ナルヲ打被」イメージがつかめなかったが、
この絵で何となく…。
女性は赤山明神。 

吉水

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六阿弥坊を有していた時宗安養寺地にある吉水

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慈鎮和尚碑。
一説に覚信尼埋葬地でその供養塔とも。

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水草庵・安養寺。


日本民俗学会年会見学会。
本山に遠慮があって、はっきりしないことは語られていないのかと思っていたのだが、
京都に聖人関係の由緒地・伝承地が多いには当然といえば当然。

木場明志氏の説明が絶妙だったこともあり、驚きの連続だった。