「その時歴史は動いた」ー蓮如上人、山科本願寺建立前後ー横田相続講

20日の夕刊でTV欄を見ていたら、NHK「その時歴史は動いた」の番組に蓮如上人云々の文字が見えた。
その日推進員養成講座に向けての会議には、組役員・門徒会・推進員代表約20名が集まっていた。
誰も「今晩、蓮如上人の番組がありますね…」と、切り出さなかったのでこれがその日に流れるとは思わなかった。
6月放映されることは4月には知っていた。
そして、もう6月も後半に入ったのだということを番組紹介で改めて認識したのだ。


ー目の前のことしか見えていない…。ー


それで、会議にはお会いしたが普段顔を会わす機会がない10組門徒会の正・副会長から「今晩蓮如上人の番組がありますよ…中島でのお講も映るはずですから…。」
と電話を入れた。
会長さんは、能登教務所から一週間前にファックスが入っていました…とおっしゃる。


夕刊で気づくものもいれば、大分前から知っている人もおいでる。
じゃあ…こちらがあちこち電話する問題でもなさそうだ…と、電話するのは置いた。


いつもなら、一旦眠りに入っているはずの10時から始まる番組を見た。
タイトルに書いたように「山科本願寺」がキーワードになる番組だった。
巨人・蓮如上人は簡単には描けるわけがない…、寺内町に絞ったのはそれなりの視点だ(と思う)。


山科本願寺をこの世の極楽と感嘆したのは日野富子だった。
大河ドラマ日野富子を描いたのがあったはずで、あの頃、結構真宗と関わる歴史学者が富子が山科を訪れことを語っていた。


同じNHKだけれど、今回は日野富子の名は出てこなかった。


能登のお講ー谷内(やち)ないし横田の3日講を取材していっているはずなのに全然能登が出てこない…
映像を集める中で山科に絞ったため講はカットされたのかな…と思っていた矢先に、
能登の「講」が映像に流れた。


経過を記録しておく。
能登沖地震がおこってから12日目の4月6日…NHK大阪のディレクター氏から電話が入った。
蓮如上人を取り上げるために準備を進めている。地震のおきた能登真宗が盛んだと聞いており、
(ここからは曖昧だし、ちょいと願望も混じっているかも知れない)ー被災のニュースを見ても真宗風土によると思われる助け合いの姿が窺え、胸打たれている…
そして、能登には蓮如上人時代からの「講」が生き続けているそうで、それを番組で取り上げたい…。
能登教務所に電話したら地震の対応でTV番組どころではないようだった。
(そりゃ、そうでしょう)
教務所では、西山さんのお寺がちゃんと伝統的なお参りをしているので問い合わせたら…
ということで電話した(どこに伝統的なお参りがあるかを知っている…と答えたと思うのだが…)。

と、このような趣旨の電話が入ったのである。



話を聞いていくと、在家を会所とする「講」の様子を取材したいという。
珠洲の「春勧化(はるがんけ)」はとっくに過ぎている。御崇敬(ごそっきょう)は会所がお寺だし…。
今からだと…??
御座宿(おざやど)を点々としながら相続講が続いている押水地区、
中島町史で掴んだ谷内・横田あたりの講がいいのじゃないですか…。
と北龍(きたきみ)議長、和田元副議長さんの名も挙げ…
電話を切った。


その後、和田さんから横田の「3日講」に取材が入ることは聞いていた。



番組の終わり頃に「横田相続講」の様子が流れた。
素晴らしく格好いいお坊さんがお説教をしておられ、『正信偈』の唱和、手を合わす人々が映し出されていた。
※西谷内覚永寺和田勝住職のお説教でした。

眠い目ながら…感動。


番組の中では、吉崎退去その他を蓮如上人一人で通していたが、勿論お弟子さんが随っている。
ドラマチックにということなのだろう…様々な見方がある。