「こころの時代を生きる」批判

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これはひどかった。
例えば玄侑氏の発言。
「霊を認めないと「淨土教」は成り立たない。」
「仏教の場合は、拝むことで外側に(憑きものが)憑いていれば、それがなくなると思うし、内側でもお経が効いたと解釈できる。(そうでないと)儀式の力は説明できない」
などは、拝屋(おがみや)さんといわれてきた人たちの世界に近く、「仏教」とは根本的に違う。
少なくとも真宗では「霊」は言わない。淨土真宗浄土教じゃないと言っているのだ…。
しかもこれは「般若心經」を語る対談内での発言。
「空即是色色即是空」世界は、「憑きもの落とし」とは対極にあるはずなのだが…。
儀式も仏徳讃歎・仏恩報謝のどちらかだ。

この臨済に属するという僧?は、
「私においては…」とか「私の宗派では…」と言わずに、
何もかも「仏教では…」と語る。
これは、「慢」=奢りだ。
当然対談者の養老孟司氏とは話がかみ合っていない。


もう一例。
「大特集 あなたは宗教を信じますか?」
解答している47氏のうち、タイトルに「宗教」を使っている人13名。
神(神父、ホスピス、聖書含む)が13名。
来世2…の順。

宗教を信じますか?と問われて
神でこたえた人が13人。
どうしてそんなに多いのだろう?

横尾忠則氏が書いている中に答えがあった。
「横尾さんの「こころの中にいる神さまのようなものについて何か書けないか」
というのが僕に与えられたテーマです。」 
神がいっぱい出てくるはずだ。
こういう依頼をしたのなら、その旨を読者に示すか
「大特集 あなたは宗教を信じますか?ー
アンケート:あなたのこころの中にいる神さまのようなものについてー」
というタイトルにしないといけない。


執筆者の中には「あなたは宗教を信じますか?」で聞かれたら
違う答え方をしていたという人がきっといるはずだ。
一種の誘導を行いながらその事を示さないのはー編集の基本を逸脱している。
しかも、玄侑氏の先の発言がある別の特集
「日本人はなぜ『般若心経』が好きか?」の「般若心経」には誰一人として触れていない。
『般若心経』を好きなのはどなた?


もちろん、心に響く文もある。
今は買わなければよかったと思っているが、
養老孟司ひろさちや、高田宏、永六輔南木佳士室井滋氏の文などは
後々ゆっくり染み通ってくるのだろう。


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読まなければ…。