エース佐田

19日(土)組同朋大会。
4月11日にコメントしあった佐田が国体予選の試合のため19日に珠洲に来るという。
同朋大会の方はしばし聴講し、残りは共に聞きにいった連れ合いから聞くことにして、不
安定な天候の中を球場に向かった。
佐田は練習用球場で投球練習をしていた。
ちっとも変わっていないと思ったが、もう52歳になったという。
高校球児が52。当時の部長だったオレは…一体いくつなのだ…。
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[昭和48年9月25日 羽工高新聞 第25号 3面]
この佐田典夫君である。
昭和48年第55回全国高等学校野球選手権石川県大会。
代表決定戦で、6:4で惜敗。
兼六園球場の夕日の紅さと共に、この決勝戦の様々なシーンをくっきりと覚えている。
1回戦輪島、2回戦鶴来、3回戦錦丘、4回戦松任、準決勝県工に勝ち、準決勝で星陵を5:1で破った市立工業との決勝。
エース佐田だ。

元へ戻って、それから34年。
この年で先発予定だ。感動してしまった。
投球練習の球は生きており、ミットに小気味のいい音をたてて吸い込まれていく。切れのよかったカーブは、やや大きな孤を描いていたが大きく曲がり高校球児時代を思い出させる。
肩慣らしが終わり、練習グランドの外で想い出を語り合った。
そこへフリーバッティングのボールがフェンスを越えて転がってきた。
ウズウズしていた…。
フットワーク軽くボールをつかむ…つもりで駆け寄り、しゃがもうとしたらおなかがつかえた。
こんなところに思わぬ肉があるなんて…モウチョットで転びそうになった。


その動作を懐かしい…という。
そういえばあの頃、トス、フリーバッティングのボールを、ちょこまか動き回って捕っていた記憶が蘇ってきた。


雨模様だったのと、想い出に浸りながら試合を眺めるのもつらく、持参してきたウイスキーを渡し、佐田が土産に持ってきた麦焼酎をもらって別れた。
再会を祝しクイクイと焼酎をあおったら格好いいだろう、そうしたい気分ではあったが…、ちょっとのクイでウィーになってしまう。