隠岐国分寺・焼火神社


以下1969年(昭和44)…7月下旬撮影。
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廃仏毀釈の嵐の中で、かろうじて残った諸仏・天。


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神像、奪衣婆。
これは確か焼火神社で見せていただいたはずだ。



昨日の午後3時過ぎ、隠岐国分寺が焼失したとの記事を見た。

昭和44年(1969)、38年前のこと。
研究旅行という名目のゼミ旅行にはじめて参加した。
目的地は山陰・隠岐

 
東郷湖湖畔三朝(みささ)温泉近くで、
墓地も、もちろん墓石もないムラをたずね、
三徳山三仏寺の投げ入り堂を見て、
同じ日本に生まれたことが信じられないくらいのカルチャーショックを受けた。


その後、隠岐に渡った。
その時撮った写真のおかげで、焼火神社や国分寺の記憶がかすかに残っている。
当寺の写真に何も書いてないので、そうだと思い込んでいるだけなのかも知れないが、
隠岐ほど激しく廃仏毀釈が行われたところはなかった。
全ての寺院が毀され国分寺の仏像も毀された。
その悲惨さを伝えている四天…というように国分寺
五来重先生がお話しなさった記憶がある。


この時の旅が大きく人生を左右しており、
そういう意味でフト「隠岐」を思うことはあるが、
隠岐に行ったのはその時だけである。


岬めぐり」の歌詞の2番が、
「幸せそうな 人々たちと 岬をまわる 一人で僕は くだける波の あの激しさで …」であるのに
ダークダックスのアルバム「山の讃歌」中にある歌詞は、
「…人々たちと 隠岐をまわる 一人で僕は…」になっている。
オキと聞こえるだけだから沖なのかも知れないが、やはり隠岐だろう。


その歌を聞く時は、さすがにいくつかの光景がよぎっていく。


そして、久しぶりに隠岐を想い出し、
哀感を抱いたのが国分寺…の記事だった。


写真の仏像も失われたのだろうなぁ…。

追加2011(平成23)年6月24日(金)

たまに検索する方もあるようなので。最近出てきた当時のネガから関係写真を追加する。
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