蛸島町老人会ー老人会とお寺参り

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老人会。
右側にも、結構多くの方々がおいでた。


蛸島地区では、早船狂言の講義を2回ほど、婦人会の史跡巡りなどを行ったことがある。


老人会でのお話しは、本職に関わるものだと思い、
仏教から見た人・人間。
苦。
10悪における言葉の問題。
「破るもののなくて障子の寒さかな」。
27歳の時、千代女が子供の弥市を失った、その後に詠んだ句。
相対的にしか見る事が出来ない私たち… 
などをキーにして話すつもりでいた。


ところが前日になって、老人会長から電話が入った。
よろしく…はいいのだが、
難しくない話にしてくれという。
条件を付けられると話せない。
条件に合う方をお選びになったら…と
いいたくなる。


会場に行ってみて分かった。
老人会長と副会長 (公民館長としておいでたのかも知れない) は、
資料館友の会で何度か史跡巡りをし、
あるいは公民館長として歴史・民俗の話を聞いておられる方だった。


だから、どうして『続日本紀』がどうの、
珠洲・須須・都々がどうの、
梁塵秘抄が…のような小難しい話をする人を
老人会に頼んだのだろう…と思われたらしい。


もちろん頼んだ婦人は、法話の私だったのだ。
話し終えて、質問になって、また話して欲しいという声があった。
1時間では短いともおっしゃった。
もちろん口には出さねど、
難しい、と思われた方もあったろうし、
何を言いたいのか分からん…という人もあったろう。


もし、もう少し聞きたいという方がおいでたとすれば、
その話しの原点、あるいは語られる場は、
お寺であり、お説教なのだ。


もしが続くが、
もし、来年度も頼まれることがあったら、
まずお寺のお参りに行ってください。
そこで、充分お話をお聞きになり、
さらに、同じような話を、別な方からも…というのであれば、
お引き受けします…、
というべきなのだろう、
と、思った。
(その後、依頼はない。20080123)

一方、
法話、お説教を老人会で聞き、それを機に、お寺参り…
も、あるのかも知れない…。とも思う。

 
思案しなければならないところだ。