蓮如上人御木像ーご満足の木像ー開扉

日本ジャンボリーのお宿をお引き受けになっている1ヶ寺、
正院小路高福寺さんへ観光パンフを配りに行ったら、
蓮如上人御木像開扉法要が営まれているのに出会った。
これはこれは…、
何でも引き受けたり、
動いたりしてみるものだ。


お説教は諸岡敏師。聞いてみたかったが、
私の老人会での講話時間と重なっていて無理。

 
御開扉の御木像は、蓮如上人35歳の時、
北陸巡行中の上人が小松市波佐谷の地にしばらく逗留なされ、
去るとき別れを惜しむ村人に自画像を刻んで形見になさったという、
「ご満足の木像」と呼ばれている御木像である。
 

文明3年 (1471) 蓮如上人が近江から吉崎にお越しになり、一気に真宗の教えが広がる。
その拠点となった加賀国には、次男蓮乗・7男蓮悟の拠られた二俣本泉寺 (後、若松)、
3男蓮綱の波佐谷松岡寺、
4男蓮誓が拠った大聖寺山田光教寺 (以上を加賀3山という) 
それに鶴来清沢願得寺を加えた4山が中心となり、加賀一向一揆を支えていく。
ところが享禄4年 (1531) 本願寺、越前超勝寺・本覚寺、新興土豪ら連合との間に戦いが起き、
上人一族の加賀一家衆は敗北。
蓮綱、蓮悟らは能登などに逃れた。
波佐谷蓮綱が落ち延びたのが、旧珠洲郡松波で、
そこにあった天台の高福寺に身を寄せたという。
その高福寺が真宗寺院となり、正院小路に寺基を移し、
波佐谷姓を名乗り現在に至っている。
ここにご満足の木像があるのは、このような伝承にもとづく。


年に一度、小松波佐谷の地で、御木像の御開扉が行われているが、
当地においてはいつそのお参りがあるのか、意識せずにいた。
そのお参りに出会ったのだ。
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