十二光仏…普放無量無辺光
今から11年前の平成7年から10年、
16回にわたって、真宗大谷派金沢別院発行の新聞「おやまごぼう」に「蓮如上人と伝承」を連載した。
金沢別院が自前の本を1冊も持ってないのじゃ、格好がつかないだろう、
とそれをまとめたブックレットを作った。
スタッフは金沢教区の若手。
ロゴマークも作ろうなどと盛り上がり、
私が書いた文を読みあった。
ここは難しいのではないか、
天親菩薩は旧約で新約の世親菩薩も親鸞聖人は用いられた、
とか…よく知っているなァと感心しきりの編集作業が進んだ。
出来るだけ、安く、多くの人に…の思いから、
文章、振り仮名、一覧などは全て私がワープロを打ちそのまま印刷できるようにした。
出版社さんにやって貰ったのは写真の割り振りだけである。
蓮如上人500回御遠忌の前の年に「おやまブックレット1」が出来上がった。
この表紙の見返り部に「表紙イラスト蓮如上人像(西山蓮如堂)」と書いてある。
友人の西のぼる氏が、西山の画名か?
と聞いたことがある。
表紙を描いた人、スタッフの名、ロゴマークを考えた人、
などを、どこかに記載しておけばよかった。
私も名刺代わりにお渡ししたり、坊守会のテキストに使ったり、随分あちこちで利用した。
「普放光」?
ある時の坊守勉強会で
「10、十字名号から六字へ」に書いた12光仏を読み上げていて
あることに気付いた。
あれれ??
「弥陀の智慧をあらわす十二光 (それぞれは略) の中でも、『正信偈』では四番目に登場する無碍光が…」と書いている。
無量・無辺光が私に届いた、
それが無碍光で、12光仏の3番目なのだ。
4番目にしてしまったのは
普放無量無辺光無碍無対光炎王の
普放を普放光と読んだのだ。
普放は、普くー十二光をー放ちて…の意味で、
スタッフのほとんどは知っていたはずだ…
なのに動詞の使い方や助詞がどうだ、とばかりいっていて、
この基本的な間違いが指摘されなかった。
版を重ねたときも、気づかなかった。
開き直って、
普放光でつまずく。
そういう話に持っていってもいいのかな…の
気持ちもある。
左、十二光仏 正福寺蔵。
右 方便法身尊像の上部に「南無」が記されている珍しい尊像 妙厳寺蔵 いずれも「珠洲市の文化財」