聞法ーたんにお参りすることーの難しさ

教えを聞きたい。
説法の場で話を聞きたい。
これが根本にある。


ここからが、説明しにくいのだが、
教区の勉強会に出ればいいのに、ほとんど参加したことがない。
組の勉強会もダメ。


質疑とかがある会には、どうも2の足を踏んでしまうのだ。
教区会の副議長・議長をしたとき、
どんな講義が行われているのか、を知るための聴聞という、
すごくいいポジションに立てたのに、結局少ししか聞けなかった。
 

一方、町村史の調査を兼ねてのお参りの場には
結構出させて貰った。
それで、充分の思いがあったのかも知れない。


門徒と同じ場で聞くのが好き、なのだ。
ところが、 能登のちょっとした行事に行くと、
世話をする人々の中に大抵知り合いがいる。


真継伸彦さんと御示談を聞きに行った御崇敬では、
奥座敷に案内され、
中島町史で御崇敬の準備段階を調べに行ったときには、
住職の代わりに御崇敬の歴史を語らされ、
門前町史の時は議長だったもので、
組長さんが見つけて、議長が来ています。挨拶を…。
と、いうようなことまであった。


というわけで、
能登で、本堂の雰囲気を味わいながら、
法に親しむのは、結構難しいのだ。
僧籍にある人間が、
聞法に各地を歩く風習が育っていなかったのだと思うのだが…