ブログ名とプロフィル
ブログを始めたときー、知人が書いておられる花筺日月紀とたこ足配線雑記を参照にした。
そのブロクを楽しく読ませていただいており、
お二方のブログを参考にしながらブログを書きだした。
「花筺日月記」は、「花筺」さんのブログで「物書きと骨董を生業にする花がたみの日々色々」。
プロフィル「花がたみー金沢市在住。気ままな文筆業と骨董屋を生業。古きモノ、コトの声に耳を傾け、日本の文化、民俗の世界を遊行中。
オリベ編集学校1期生、ISIS編集学校10守卒門。12破学習・編集稽古中。
アンティクギャラリー堅香子のサイト ANTIQUE PLANTS」
と、北陸の白洲正子か柳宗悦さんを訪ねているような趣があって、
格調の高いブログ。
「たこ足配線雑記」は、「きむ」さんのブログで、
タイトルから、すでにとらわれのない自由闊達さを感じさせ、
文も洒脱、軽妙、そして蘊蓄の深さに溢れている。
「ノー天気なフリーエディター&ライターのお気楽な日常をずるずると綴ります。」
「きむー金沢で自適(悠々ではない)に暮らす中年女子。
いつまでたって深みなんて出てこないので、このままチャラチャラのほほんと生きていく。」
そこで得た知識は、
ブログ用名前とプロフィルがいるのだ…
であった。
そこで考え出したのが「能登のうみやまブシ」のタイトルと、
こたつに潜っているものとしては
願望に近い
対極の「ヒダに分け入り、海山の歌を奏でる」のプロフィル。
名を加える
しばらくやってみたが、どうも居心地が悪い。
最初は、HPの準備を兼ね、
エッセイを書いてみたいという積年の夢をかなえられるような気になったのだが、
軽妙な文なんて、書けそうにもないことにあらためて気づいたのが一点。
整理整頓が終わらないのに、新たな世界へ入っていくのは雑然さを広げるだけだ…と気づきだしたのがもう一点。
新たな名で書くのには歳を食い過ぎているという感覚がもう一点。
そして、
このあたりが本当の違和感なのだと思うのだけれど、
今まで相当文を書いてきたが、
名を伏せて書いたのは最初にあげたブックガイド『北陸』(平成4年刊)に「杜氏の里」「一乗谷の盛衰」と、翌年「能登教壇」(真宗大谷派能登教務所発行の新聞)に(S)名で「ある仏事にて」を書いた、それぐらいしかなく、
今までに310本ほど書いた文は
最後にその時々の肩書きと氏名を書いて、
「はい書き上げました。おわり」。
の儀礼をやり続けてきたのだった。
ブログとはいえ、それをやらないとどうもすっきりしない。
などなどで
プロフィルに本名を加えることにした…
という次第。
海伏(うみぶし)と五来重先生、そして郷史。
ところで、プロフィルの山伏は一般語だが、
海伏は、恩師の五来重〈ごらい・しげる〉先生が私の家にお泊りになったとき、
海の修験道の解明には100年かかりますよ、とおっしゃったのをヒントにした。
私の名「郷史〈さとし〉」の方は、時々ペンネームかと問われることがある。
郷土史だものな。
郷をサトで伝えるのは、電報を打つ場合などかなり難しかった。
コキョウの「さと」です。
ふるさとの「さと」です。などとただでさえ苦手な電話口でもたついていると、
郷ひろみの郷ですねと交換手さんがおっしゃる。
今も、「郷」は、郷ひろみなのだろうか??
父の名が「外卿」。
「卿史」にしたかったのだそうだが、戦後「卿」は名に使えなくなり、
似た字の「郷」をあてたのだそうだ。
親の願いである。