文明12年(1480)7月末、堺の金光寺内の寮に住まいしていた招月庵正広は、能登守護三代畠山義統(よしむね)から、「瀬良志(瀬嵐)と云所に、木像の人丸あり、そのほか浦々を見侍るべきよし」の状を受け取り、能登府中に向かった。中島町史の関係で調査して…
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