文化4年(1807)は、大沢で長太が雄ムジナを退治した年。『加賀藩史料』では、翌年正月の項にこのことが載る。牝ムジナの願いにより、ムジナの法要が営まれたのは文化8年(1811)のこととされ、上記の書物が刊行されたころ、のちに世に知られることになる一…
鳥翠台北巠(行人偏なしのケイ)著同書は文化4(1807)年4月「新彫」、すなわち刊行。京都・江戸・大阪書林などが関わっているから全国版巡杖記。『日本随筆大成第18巻(第2期)』吉川弘文館に載る。全五巻構成で巻之一 加賀国之部 「菊酒の故実」、ツチノコ…
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