井波別院瑞泉寺太子伝絵、城端別院善徳寺虫干法会、大福寺不二門

26日(木)
太子伝絵。
ジックリお参りできた。
絵解きは、26才太子ご結婚、27才黒駒の段を頂いた。
その都度、万人講お勤め、オミトーの声と共に御開扉。
2才太子像がお姿をお見せになる。
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瑞泉寺本堂
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綽如上人瑞泉寺創立之霊跡 臼浪水
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井波城址瑞泉寺旧地)井波八幡宮境内にある
だれだったろう?神話の方。
これも亀石だ!―と思ったので撮った。
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翁塚、芭蕉堂。
元禄13年(1700)、瑞泉寺11代浪化上人建立塚。
伊賀上野故郷塚、義仲寺本廟と共に、芭蕉三塚。
しつらひは旅のいなり魂祭り 浪化
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いたる所に井波彫刻。
この椅子は、手前見猿、向こう側、聞か猿
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宿「東山荘」部屋から
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創業元禄
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井波彫刻の粋―勅使門
千尋の谷からはい上がろうとする子獅子、岩の上で見守る親獅子
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27日朝。
お朝事にお参り
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門前町通り。
7時過ぎ
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城端別院

蓮如上人腰掛け石
この石は廃村になった中河内
道場にあった蓮如上人腰掛の石と
呼ばれている石です
中河内では安産石と呼ばれていました
その謂れは村の肝煎の娘が難産
で苦しんでいたいた時この石に掛けさ
せたところ安産したという石
であります
 城端別院善徳寺

流れは、万人講、法要、布教・諸岡敏師、絵解き、各部屋毎の法宝物縁起、絵解きなど、名古屋大学の学生たち、地域の方々の丁寧な説明があって、数時間では回りきれない。
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大福寺不二門内。
大福寺の歴史より

先代住職の太田利雄が柳宗悦先生や棟方志功先生に私淑し、高坂貫昭、石黒連州といったよき先輩とともに民藝運動をこの地に広めた。晩年利雄は現住職(浩史)とともに埼玉県川口市新井家の長屋門道路建設のために失われることを惜しみ、大福寺山門として移築することを計画したが、志半ばで病に倒れた。意志は現住職と門信徒らに受け継がれ、利雄の一周忌に完成し、故人の絶筆にちなんで「不二門」と命名された。二階建ての内部は故人および現住職が蒐集した民藝品が展示され、公開されている。また隣接する「正響道場」は、富山県唯一の無形心月流弓道場として全国から射人が訪れ、射行に励んでいる。

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仁行和紙を用いて壁紙に使用する為の注文品。
民藝品を生かし切っておられる。
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蓄音機。洋盤レコード。
柔らかい音色。
忘れたが元の持ち主(武官)のドラマ……。
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再び城端別院。
柳宗悦ー美の法門碑。
参照:柳宗悦五十回忌法要