蓮能尼の里ー辻堂地蔵(町屋)と太郎助地蔵(鳥越)

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   2022年1月8日撮影

虫ヶ峰登山道口-町屋地内

名号塔

銘    

    永和三五月十五日 佛心   

 南無阿弥陀佛    

    日課六万遍念佛

    ※永和三年 1377年 地上129㌢、幅44㌢

[参考]中島町豊田・市姫観音と呼ばれている弥陀三尊種子板碑(176㌢×103㌢)に

應安三年(1370)二月時正の銘

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右堂内に弥陀三尊種子板碑を祀る。説明はないが、左下の石が「弁慶石」。次の伝説がある。『中島町史 資料編上巻』857頁

 豊田町が町と呼ばれているのは毎月十六日の市が
立っていたためといわれ、市姫観音堂がある。観音堂
にある長さ一・八㍍、奥行き・高さそれぞれ約九〇㌢
の石を義経の「腰掛け石」といっている。義経・弁慶の
一行がこの地を通りかかった時、疲れの見えていた義経
に休んでもらうために弁慶が後ろの山から担いできた石
といい、その時についた弁慶の指の跡があるという。腰
掛け石は、元々立石であったが、ある時一老人がこの石
を台にして別の石で藁打ちをしたため、石霊が怒って夜
中に音を立てて倒れたとの話がある。

 

 

辻堂地蔵 別名・首なし地蔵 立て膝型 高さ29.0㌢、幅43.0㌢

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太郎助地蔵 鳥越地内 蓮光寺前田中 立て膝型 高さ40.5㌢ 幅39.0㌢

  2021年5月17日撮影

民話

辻堂地蔵と太郎助地蔵        『中島町史』資料編上巻 平成七年 828頁
町屋の辻堂地蔵と鳥越の太郎助地蔵の二つの地蔵に関して次のような伝承がある。
連日日照りが続き、これ以上水不足が続いたら稲が立ち枯れてしまうというギリギリの年があった。その年、ムラの死活を背負い一滴の水も惜しいと寝ずに水番をしていた鳥越の五兵衛の目を盗み、町屋の佐助が水を町屋側に流したため、カーッとなった五兵衛は鍬を振り降ろして佐助の首をはねてしまう。我に帰った五兵衛は、大変なことをしでかしてしまったとあらためて切り落とした首を見ると、そこには佐助の首ではなく地蔵の首が転がっていた。
 罪は罪として、辻堂地蔵がムラのことを思って犯した佐助の身代りとなって首をはねられたのである。一方、こともあろうに地蔵を傷つけてしまった五兵衛は、恐れおののいて傍らの太郎助地蔵に救いを求いを求めた。太郎助地蔵は地蔵同士の争いということにしておこうといって、自ら左手首を折って決着をつけた。
 辻堂地蔵には首がなく、太郎助地蔵には左手首がないのは、地蔵たちが二人の人間を救ったこんな出来事によるというのである。

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1991年撮影 向かって右鳥越太郎助地蔵
左 辻堂地蔵