遅ればせながら-。
このところ頻繁に地震がある。
教員時代、郷土史同好会生徒と飯高文化祭で郷土と関係ある地震記録を一教室使って展示発表したことがある。
昭和57年(1982)のことで、2月7日の能登沖地震が起こる11年前、阪神淡路大震災の13年前の話で、私が記憶する体感地震は、の新潟地震ぐらいのものだった。
地震が起こるなどとは想像のしようもない頃に、学校祭で中世の城(黒峰城など)の模型展示、珠洲の狛犬などを展開する中で、ことしはこれにしようとやってみた企画だった。
それ以上の思いはなかったのだが、その頃、珠洲では原発問題が起こっており、それに対する警告と受け取った人もあったようだった。
ともあれ、発表だけで流してしまうには勿体なかったので、それを原稿にした。
たぶん、そのことが伝わっていたのだろう、北国の支局長さんがお越しになって雑談のように交わした話が、先日(10月7日)の記事になった。
それこそ「遅ればせながらー」である。
北國新聞10月8日(木)
「奥能登の地震」p66~p74。昭和59年(1984)11月刊
『続古地震』目次。
東日本大震災後に問題になった貞観地震は、「見直される内陸地震」に含まれていた。
輪島に大きな被害をもたらした天保4年の津波の因が、庄内沖地震だったことをあらためて知った。
『古地震』『続古地震』この書の為に当地へおいでになり、一緒に現地を巡ったメンバーのひとり、大長昭雄さんから頂いた。
備えあれば憂い無し。
でも、本は山積み…。