千石~臼ヶ峰往来~散田古墳~西荒屋―9月24日(金)

24日久しぶりに外出。9時に羽咋、14時内灘に予定があるので、聖人の道を辿ろうと思った。個々については伝説の背景、常田富士男さんの旅の原稿などで何度も訪れているのだが、近年は近くさえ行っていない。想い出たどりだ。

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神子原地区から見る千石・豆の木伝承地。

 

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神子原福善寺さんの聖人像。ご住職は羽咋工業時代の先輩教員。お互いの変わりようにオオー!から立ち話。

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臼ヶ峰往来。道標〈左子浦往来〉、尼谷地蔵

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子浦往来。間もなく山頂公園。

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35歳の聖人は、越後に向かわれる途中の3月22日、この碑の向かい側でお休みになったところ、夢に聖徳太子が現れ能登に教えを説いてから旅立たれるよう、懇願なさったと伝わっている。

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越後を望んで居られる像。能登沖地震があったあとに訪れたときは、石灯籠の上部が落ちていた(ような)記憶がある。

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越後方面

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聖人

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臼ヶ峰太子堂

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臼ヶ峰口、庄鍋集落(鉱泉

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夜中に起きている生活が続いているので、仮眠場所を探した。

臼ヶ峰から志雄に向かい、その途中の散田(金谷)古墳あたりがいいだろうと、古墳そばへ寄った。

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河北潟沿い西荒屋へ。故北西先生宅へよって手を合わせてきた。この日西荒屋蛭児神社祭礼らしく、猿の子・幟が立っていた。空には鱗雲、今はもう秋。

♪見ていて下さい 遙かな父さん いわし雲飛ぶ空の下 戦争知らずに二十歳になって 嫁いで母に 母になるの(「戦争は知らない」作詩・寺山修司)のメロディーが流れていく。

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夕方ー高尾からの夕日:18時