民俗研究の先駆者ー四柳嘉孝氏(1922~2002)

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今日(2021年9月15日)の北陸中日新聞朝刊。私のコメントも紹介された。

四柳嘉孝先生の論著を、『日本民俗誌集成 第12巻 北陸編2 石川県 福井県』(1997年11月30日 三一書房刊 本体23,000円)で、紹介した。原著は謄写・私家版。

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『日本民俗誌集成 第12巻 北陸編2 石川県 福井県』目次。

現「加能民俗の会」を立ち上げた長岡博夫氏が石川県郷土資料館(現石川県歴史博物館)に寄贈なさった長岡文庫の郷土資料を全て閲覧し、旧珠洲・鳳至(奥能登)郡、鹿島・羽咋(口能登)郡、河北・石川郡、能美・江沼郡の4ブロックから一冊ずつの民俗誌を選んだ。奥能登は最初から四柳氏の論著のどれかにしようと決めていた。

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謄写で図も多い著であるが、この分野では定評のある三一書房である。見事な作図、立派な本に仕上げてくださった。

コメントに四柳(嘉孝)民俗学を見直さなければーとあるのも、このような書が知られなければならない、との思いも込めたのである。

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この書を選んだ理由(解題)。この頃、私個人も最も充実した調査・執筆を行っていた頃だったような気がする。

四柳氏の亡くなられた2002年には、県の埋蔵文化財センター職員研修で、「民俗学の成果と課題―考古学との接点を求めてー」と題した講演(講義)をしている。

私は埋文の評議員をしており、この時の館長は湯尻修平氏か谷内尾晋二氏で仲が良かった。仲がいいと会議以外でも会うことがあり、なんやかんや言っている間に、講演話になっていったのだろう。その時は三一書房で書いたことが生かされている。

三一書房の方も全体の編集委員が、サトちゃん、モリちゃんと呼び合っていた高桑守史さんだったので、私に回ってきたのだった。

今朝の新聞に「民俗学者」と紹介されていたことで、その頃を急に思い出した。

今年、日本民俗学会も加能民俗の会も辞めており、遠い昔々の物語だ。

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同書、「民俗誌」文献目録」〔石川県〕の2頁目。

四柳嘉孝氏の著書が目白押し。

 

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昭和26年に「能登半島のアエノコト分布と形態ー特に鳳至郡を中心としてー」

謄写版72枚(144頁)。Aとか31とあるのは、第33回北陸3県民俗学会福井大会(平成20年・2008年8月)の共通課題「北陸の稲荷信仰」(私は「「あえのこと」「地神」のお稲荷様」と題して発表)に発表する際、「「あいのこと」「あえのこと」に見る田の神の姿」で用いたレジメ資料の番号である。

書きついでに加えると、この時アエノコトに関するほとんど全ての論・著を網羅し終えた。となると、基礎資料としてのアエノコト(アイノコト)関係著作集があればいい、というより無くてはならないものだし、文化庁主任調査官で親しくしていた大島暁雄さんに相談した。結論は、何とかするが提案者の私が作業を進めること、ということだった。その頃4年後に控えた飯田高校百周年記念誌・伝説とロマンの里データー・文作り、真宗文化調査を進めており、アエノコトに集中しているイメージがわかないままに、この話は立ち消えになった。

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昭和26年(1951年)『能登半島の生活慣習研究ー特に能登島・閨及び鳳至郡三井村を中心としてー』謄写版 206枚(412頁)。活字になるのを待っているようだ。

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昭和35(1960)年『能登半島年中行事』私家版91頁

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昭和47(1972)年『半島能登の味』北国出版社刊

 

四柳先生とは、平成11(1999)年5月に、一度席を同じくする機会があり、その時「民俗についてゆっくり話したいと思っている」とおっしゃられた。

様々な民俗史・誌を伺う絶好の機会が、手の届くところにあったのだが、自分の受け皿中身が整わず、伺うことがないままに終わった。