新刊紹介『とも同行の真宗文化』(『宗教民俗研究 第31号』)

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このほど『日本民俗研究』第31号が届き、新刊紹介コーナーに『とも同行の真宗文化』が紹介された。

紹介者は本林靖久(同会副代表・編集担当本林靖久氏)

[内容]

西山郷史
『とも同行の真宗文化』

 本書の著者は、平成二年(一九九〇年)に『蓮如真宗行事』(木耳社、のち『蓮如真宗行事-能登の宗教民俗』で再刊)を上梓し、その後も、『蓮如上人と伝承』(真宗大谷派金沢別院、一九九八年)、『妙好人千代尼』(法藏館、二〇一八年)を出版してきた。本書は、この三〇年の間に様々な書物・雑誌・新聞などに掲載された真宗の風土に関する文章をまとめた著作である。
 タイトルの「とも同行」とは浄土真宗では同じ教えに生きる友という意味で、この真宗用語を用いて真宗文化を語ろうとするところに、民俗学者でありながらも浄土真宗の住職である著者の真宗の教えに立脚した鋭い眼差しが見られる。
 さて、目次を提示すると、「Ⅰ 真宗の風景 土徳の里」、「Ⅱ 蓮如文化論 太子・報恩講」、「Ⅲ 講 お座とご消息 盆習俗」、「Ⅳ 説教話 仏教和歌 今様 和讃」、「V 真宗と権現 神仏分離 祭 葬」、「Ⅵ 真宗用語と民俗語彙 先学の問い 法話」、「学統-あとがきにかえて」となり、総頁数四一九頁の大著である。
 各章の内容について論じることは紙面の制約上無理なので、筆者の関心を持った論考を提示しておきたい。まずは、能登蓮如忌の習俗を通して、「新旧文化の接点」を論じた桜井徳太郎の「真宗信仰と固有信仰との習合」に対する批判的論考である。西山氏は桜井のわずかな事例による推論に対して、詳細なデータの積み重ねによって、「いつの間にか能登蓮如忌は、固有の石動山信仰を踏まえて成立した行事だと、既定事実のように語られているのは、残念である」と論じ、「真宗教義は、あらゆる固有の民間信仰を雑行雑修として排除したという、遠い昔の話がつい近年に起こったかのような、それこそ固定した見方が繰り返し語られ、その図式に当てはめないと真宗民俗の説明にならないとの論調が支配していた」ことに疑義を呈し、「フィールドを通して窺える「固有」とは、実は真宗的世界・真宗風土のことを言つているのではないか、を、問わなければならない」と指摘する。つまり、新旧文化の新が真宗で、旧が固有信仰という対立概念で、真宗民俗を遡及的に解明しようとすることには意味がないことを力説している。
 一方で、真宗地帯における地域個性を重視し、「民俗調査力ードに従って真宗地帯を歩けば、当然、祈り・禁忌世界に関するものには出会わない。しかし、そこには差異・温度差があり、その差異が生ずるのは、大雑把にいえば、祈願・御利益といった真宗以外の宗教と、真宗との問にどの程度の距離・接点があるかによる」と指摘する。その差異が大きければ、追善、冥福、霊魂といった「民俗語彙」は、門徒の生活においては否定され、その語彙を用いた途端に真宗真宗でなくなる矛盾が生じる。つまり、真宗の民俗を明らかにするには、おかげさま、信心、たのむ、平生業成などの「真宗用語」で語り合うしかないと言う。したがって、「真宗が、民俗の表舞台に登場したのであれば、真宗抜きだった民俗語彙に、新たな真宗民俗用語が加わって、始めて民俗の一般化がなし得る」のだと主張する。
 本書を通底する視点は、「民俗学が対象とした常民は、いうまでもなく凡夫そのものであり、真宗地帯を避けて日本人の精神生活を探れるわけがない」のであり、「禅と真宗キリスト教真宗を語る人は多いが、もっと土着的なあるがままの世界が語られなければならない」ということのように思われた。その土着的なあるがままの世界が真宗風土を象徴する「土徳」であり、著者は、「能登は優しや、土までも」の言葉について、「土も優しいが、あれも優しい、これも優しい。その全てを包み込んだ言葉が土徳」であると言う。つまり、本書は、「土徳」を掘り下げ、「土徳」の世界に生きる人々の生き様を深く描き出そうとしている。
 その意味では、本著は真宗地域の民俗研究の新しい視座を提示する示唆に富む好著である。それでありながら、僧侶の立場からも心に響く「出会い」がある内容となっている。本会員はもとより、幅広い読者に一読をお勧めしたい。
 (臥龍文庫、二〇二〇年六月刊、四一九頁、一八〇〇円+税)
                            (本林靖久)