『妙好人千代尼』-月岡芳年展「月百姿」 三日月の 頃より待し 今宵かな

春 年度替わりで、各資料館・美術館などで様々な展覧会が開かれる。

当寺でも明日の 「蓮如忌」に向けて、虫干しも兼ね、何点かの法宝物を本堂に並べつつある。

今朝の北陸中日新聞に「月岡芳年展」がきょうから、と載っていた。
こういった展覧会はもう行かないことにしている。

というのも、片付け物が多くて-昨日も「東方界」に執筆しておいでた「美土路龍」さんの記事を、とっくの昔に廃刊になってる数十冊から見ていったら、それで一日がおわるどころか、宿題として残ってしまった。

 

 こういうことが多いので、遠い金沢まで、展覧会のためだけには行かない、記事も読まない…ことにしているのに、「見ない」という意識の裏返しで、

月岡芳年の名が勝手に飛び込んできた。
どこかで、この人に触れたぞ…!

そういえば、『妙好人千代尼』(法蔵館刊)の千代尼伝説で調べた人じゃなかったかな?
確かめてみると確かに月岡芳年だった。

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翁 三日月の 頃より待 し今宵哉(版画引用は、どこででも見つけることが出来るし、執筆用に材料を集めていたときのもので特定なし、ということで…)



次の文が、その内容

Ⅴ-三伝説の千代
ここでは、民話の主人公に近い千代、それに、伝説として人々が千代に託した話を幾つか取り上げます。
(略)
  三日月の 頃より待し 今宵(こよい)かな
 これも千代尼の句ですが、芭蕉、五明(ごめい)、一茶などの逸話として伝わっています。
 五明は、吉川(きつかわ)五明(一七三一~一八〇三)で、俳壇の奥羽四天王、秋田蕉(しよう)風(ふう)の祖と仰がれた人です。


 この逸話は、仲秋の名月の場で句会が催され、千代尼あるいは五明などの逸話の主人公が、三日月の…と詠み始めたので、満月なのに三日月とはどうしたのだろう、と座がざわつきだしました。それを見計らって、
 (三日月の) 頃より待し 今宵かな
と千代尼(他の主人公)が付けたので、一堂感嘆したのでした。

 

 幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師・月岡(つきおか)芳年(よしとし)画の『月百姿』に、この句を主題にした一枚があります。そこには、満月、月見台を前に二人の庶民、行脚(あんぎゃ)中の俳人が描かれており、
  三日月の 頃より待ちし 今宵かな 翁 
と、翁すなわち芭蕉が詠んだことになっています。

 

 それにしても逸話の俳諧人は大概男性が役割を担っています。 当時の常識を越えた千代尼の存在が、より際だちます。

(以下略)

 

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  北陸中日新聞 2021年4月24日(土)

 

記事には、伊東深水らが後に続いた。とある。
伊東深水 最近、何度か見学に行っている最初の弟子の一人 羽根万象(羽根万象美術館、能登町遠島山公園)
深水さんのお子さんの深氷さんとは、その方の拠点の一つが珠洲市鉢ヶ崎の勝東庵だったので、当時すぐ近くの珠洲焼資料館で館長を勤めていたこともあって、何度かお会いしている。なども、惹かれるが

 

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遠島山公園

何よりも、月の百姿だ。

 

懺悔・改悔の極致-月愛三昧(『真宗聖典』(大谷派教行信証・信260頁)、
月も見て…(千代尼辞世句)、
月影の至らぬ…(法然上人、『真宗聖典蓮如上人御一代聞書855頁)、
…求めて宿る…(西行
など、切りがない

 

百姿には、今現在ー思考している「姨捨の月」もあるらしい。

 

さーて、どうしたもんだ。