友の遠い親戚ー西谷(啓治)記念館をたずねる

 

高校の同級生で、ずーっと親しくしているY・N君と、3月18日に西谷(啓治)記念館に行ってきた。

なぜ西谷記念館かというと、西谷氏が「奥能登の風光」(『宗教と非宗教の間』岩波現代文庫)に

私は4、5歳の頃、珠洲の鵜島にあった宗玄という家に何日か泊まっていた。それは大きな酒造りの家で、私の母の姉がそこの主婦であった。 

 から、故郷のイメージを書き出しており、その宗玄家からN君の祖母が嫁いでいることを、時々聞いていたのである。

 宗玄家当主に嫁いだ西谷氏の伯母、当主の姉か妹がN君の祖母になるはずだ。

西谷氏のことは知らないというので、準備期間をたっぷり取り、いよいよ記念館その他を散策する日を迎えたのだ。

記念館以外にも弘法榧の調査で、

かつて加賀藩12代藩主前田斉泰が碁盤にする榧の大木を求めて各地に問い合わせたとき、当時の十村(他藩の大庄屋)役だった宗玄忠左衛門がこの榧について調べ、弘法大師ゆかりの榧であることを報告(文化4・1807年)、まもなく、斉泰から、国の宝だから大切に守っていくようにとの厳命が持ち主の吹上家に下されたという(「記弘法大師所植瓶花榧之事」天保2年(1831)。

 ここにもY君の遠祖が関わっている。

ということで、久しぶりにN君と散策。西谷記念館のある遠島山公園で待ち合わせた。

遠島山公園 棚木城 

棚木(たなぎ)城は、「故墟考」に、前は白山の社地で谷合(たにあ)いなり。山間に水垂滑路(なめりみち)という山道あり。その上に池あり。直径百二十㌢~百五十㌢の清水で、朱鷺(とき)の巣穴という大きな穴がある、と記している。城址は遠島山公園になっており朱鷺の巣穴は現在のスズメ穴にあたるのだろうか。城を挟(はさ)んで反対側の駐車場に、能登守護畠山の三代当主義統(よしむね)の次男棚木左門氏之が、守護からもらった名馬の手入れをした「馬洗池」という池があり、枯渇(こかつ)することがないという(「説明板」)。それが清水かもしれない。
 『鳳至郡誌』に、城山の東平に、船隠しといって不思議な所があり、船が何艘泊まっていても外から見えることはない。その他、切り通しなど面白い所が今に残っている、とある。また、落城の時の「米流し坂」伝説を載せている。上杉勢が攻めてきたとき、籠城(ろうじよう)していた長(ちよう)与一(よいち)景連(かげつら)が、米を流して滝のように見せ、城には水が多いことを示した。越後の勢は、遠くからこの様子を見て、作戦を立てられないでいた。ところが鳥が米をついばみ始めたので水の少ないことを知り、城を取り囲んで落とした、という話である。景連は、上杉謙信の近臣で、景連が戦ったのは、前田軍の長連竜、大井直康たちである。
 城山の湾に面したところは、樹木が生い茂り、うっそうとしているその間に、赤土が崩れ落ちて一つの道のようになっているところがある、そこが米を流して滝に見せた地であるといわれている。
 このほか、入り江に映る月を愛でた「月見御殿跡」などが公園にあり、遠き棚木城時代を伝えている。(『石川県立飯田高等学校百周年記念誌伝説とロマンの里』第4章 城址、旧家、碑、民話 1鵜川館、天呑城、棚木城 

2012(平成24)年刊より)

羽根万象美術館からの「船隠し」

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船隠し。「羽根万象美術館」喫茶コーナーから。

ウグイス ホーホケ…

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「真脇縄文真脇遺跡資料館」付属資料調査室で、館長高田氏と懇談し、「ドブネ」収蔵庫へ向かうために調査室を出たところウグイスが鳴いていた。姿は見えなかったが声のする方にカメラを向けシャッターを切った。どこかに写っていないか?

真脇遺跡縄文館

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「ドブネ」収蔵庫、坂坦道彫刻展示施設駐車場からの真脇遺跡付近

 

 「ドブネ」収蔵庫

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「ドブネ」収蔵庫内。ドブネがこの収蔵庫に保管されるまでの経緯については、あらためて…。

坂坦道作 石川啄木歌碑

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坂坦道氏作「石川啄木歌碑」。

石川啄木歌碑 

しんとして

幅広き街の

秋の夜の

玉蜀黍の

焼くるにほいよ

 啄木

HPなどでは、1907年に札幌に滞在した石川啄木が詠んだ歌が、札幌大通公園の碑に刻まれている。などとあって、左の歌の部分が取り替えられている(坂担道作を加えた歌碑のようだ)。

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takuboku-odori3 より

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hokkaido uuspotより

吹上 弘法榧

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吹上弘法榧

宗玄村忠左衛門の名が載る説明板に見入るN君。「宗玄家の系譜」(中島吉正『すずろ物語』第49号、昭和59年刊)をコピーして持ってきてくれたので、ずいぶんいろんな事が分かった。

宗玄酒造を始めたのは忠左衛門家から分家した忠五郎家でその4代目当主が酒造業を始めた。その流れが現在高岡で宗玄病院を営んでいる。

宗玄家のお墓は宗玄酒造近くにあり、N君がお墓を守っている。

この論にはN君を「医師」と書いているが、今も公立病院の医師である。

この日は、偶々出勤しなくてもいい日だったので西谷記念館へ行くことが出来た。