伝説の風景ー節分ー鬼(猿鬼・鬼神)、能登を訪れた人々ー常田(ときた)富士男さん

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日本の鬼門守護神(須須神社)が鎮座する珠洲岬近くの浜を歩く常田富士男さんと「加賀・能登むかし話の旅」(金沢ケーブルテレビネットで放映)の進行役・アナウンサー増林さん。

後ろの山が山伏山。山頂に須須神社奥宮がある。右端は三崎の一つ相崎。2013年(平成25年)3月14日撮影。

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常田さんは「まんが日本昔ばなし」で、市原悦子さんとともにナレーションを担当なさった。加賀・能登むかしばなしの時は、まず伝説の地を訪ね、そして語るというやり方で、常田さんは一話ごとに、むかしばなしの里を歩けることを本当に楽しんでおられた。

月に2話ずつ、1年間で24話の放送で、私は能登の14話分を選び、文を書き、いわゆる監修・担当した(1話長太狢・輪島は別の方が担当)。七尾でイベントもあったので、常田さんは少なくとも15回は能登各地をたずね、歩かれたことになる。

常田さんはその年から5年後の2018年、7月18日にご逝去・81歳。

 

 

今日は節分。

能登の「鬼」譚の一部を訪ねよう。

能登には、猿鬼、鬼神大王、鬼界ヶ島など、鬼譚がゴロゴロある。

まず

七尾の猿鬼から。

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常田富士男さんと歩く 加賀・能登むかし話の旅』DVD&読み聞かせブック・北國新聞社平成26年(2014)刊より

猿鬼が恐れていたシュケンとは、大きな白犬だった。元々は、白犬を連れた修験者のことだったと思う。

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同誌。43頁

 

2013年(平成25年)8月23日(金)北國新聞f:id:umiyamabusi:20210202220912j:plain

4月から放送が始まっていたのだが、私の住む珠洲は、ケーブルテレビの系列が違っていたため、作品を見たのはこの9月15日が初めて…。感動した。

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旧鳳至郡の猿鬼  柳田・輪島

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地産地消文化情報誌 能登 2015年冬号 18号』 より。

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猿鬼の水遊び・足跡(藤の瀬甌穴群)2013年2月5日撮影

 

ユートピア半島に生きる「鬼」ー鬼とは?

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平成10年1998年2月1日(日)北國新聞朝刊・文化
本文

 時に激しく、時にヒタヒタと波打ち寄せる能登には、数多くの寄り神・仏の伝承がある。
神仏が寄り来たるのは、そこに姿を留め人々を救いたいという願いがあってのことである。
もともと日本列島そのものが、東方海上の理想郷であった。
中でも能登は、羽咋磐衝別命〈いわつくわけのみこと〉と犬が協力して作り上げたユートピアであり、
鹿島は神仙思想・常世〈とこよ〉と通じ合う地と意識されていた。
このことを物語るように七尾の東海岸には、常世と往来したといわれる少彦名〈すくなひこな〉神を祀る聖地が多い。
鳳凰が訪れた鳳至(ふげし)には、極楽国に生息するという鵠〈こう〉の巣(高洲)山もあり、
真珠が採れた珠洲(すず)は、輝きに満ち溢れる珠の洲であった。
能登はまさに古代人の憧れの凝縮した半島であり、
神仏の目当てとなるべき地だったのである。

 

一方、艮〈うしとら=東北〉の方角が魔軍の侵入口(鬼門)であると考えていた古代の都人は、自らを守るために幾重にも防御ラインをひいた。
平安京の北にあたる鞍馬山には最強の毘沙門天が置かれ、艮には比叡山
白山・気多〈けた〉・須須〈すず〉の神々がその延長線上にあった。


強訴の度ごとに都に向かった白山神、
将軍地蔵と結びついた気多神、
第六魔天軍と戦った珠洲の神軍は、
さまざまな性格を有する神が担った一つの役割である。

 

鬼とは、人が感得できないオン(隠)であり、元々はかなり広い概念であった。
それが舞楽・散楽の面と結びついて赤鬼・青鬼のイメージとなっていく。
鬼門があるならば、門の外には鬼が住む。

 

都中心の見方からは、
ユートピア越の国は、ままならぬ「鬼」の跋扈(ばっこ)する地とされたのである。

 

確かに能登では、重要な節目に当たる日に、アマメハギや太鼓の打ち手などが、面を付けたり顔に海草を垂らして鬼となる。

 

しかし、これらの鬼は、なまけ続けているものを奮い立たせたり、敵からムラを守ったという伝説を生み出している。

 

忌み嫌われるどころか、感謝の対象だったのである。
そういえば、一寸法師も桃太郎も、鬼の試練を乗り越えて、はじめて一人前の若者となった。

 

さらに猛々(たけだけ)しい猿である猿鬼(猿神)も各地に生きている。
能登島伊夜比咩〈いやひめ〉神社に伝わる「猿鬼の角」は伝承のみとなっているようだが、
地域興しに貢献している当目の猿鬼(柳田村)、
彼岸の「お出で祭り」に撒かれる猿の尻をかたどった桃団子(羽咋市酒井町日吉神社)、
旧卯月申の日の行事であった青柏祭(七尾市)、
七日正月行事である片岩の叩き堂行事(珠洲市)などは、
神や修験者によって退治された猿が祀り上げられ、節目ごとに思い出されている。

 

名こそ鬼であるが、こうしてみると、
先祖が子孫の住む地を訪れるとされる来訪神の性格と極めてよく似ている。
しかも、それらは荒々しさゆえに、大地を刺激し、エネルギーをみなぎらせ豊穣をも約束していくのである。

 

ユートピアに生きた鬼は、当目の鬼のように最後は救われていく。
有名な吉崎の嫁脅しも。孤独の深さに耐えきれず、鬼となった老婆に救いの声が届いたというエピソードである。

 

理想郷とは、こうした誰もが抱えている鬼を認め、うなずき合える世界
-すなわち共生世界-なのだろう。

 

ならば、「鬼は外…」は、
どこかに私の鬼門を育てようとする「こころ」との、決別の一歩を宣言する叫びでなければなるまい。

 平成10年(1998)2月1日(日曜日)-節分の2日前-

 

節分-あまめはぎ ※皆月7日年越しの日のアマメハギ

伝統行事が育てるもの-2004年(平成16年)2月10日(火)北國新聞夕刊「舞台」

石川県には六件(※2004年当時)の国指定無形文化財がある。
その最初の行事が「アマメハギ」で、
門前町五十洲〈いぎす〉は1月2日、
同町皆月は6日、
内浦町秋吉〈あきよし〉は節分と、
それぞれ重要な節目の前の晩に行われる。

私が出会わせていただいたのは、皆月の「アマメハギ」である。
これは異形の面を着けた一行が、
「なまけもんはおらんかー」と
「アマメ(囲炉裏〈いろり〉に当たりすぎると出来る一種の低温やけど)」を剥〈は〉いで回る行事で、
猛々〈たけだけ〉しいアマメハギに、
幼子〈おさなご〉は怯〈おび〉え、怖〈こわ〉がって泣きじゃくる。

 

「アマメハギ」と子供、の印象が強いせいか、
意外に思ったのだが、
子供がいるいないに関わらず、一行は全戸を訪れる。

 

「どうやって入りゃいいげ…」
「今晩はー、アマメ来たぞー!、かな」
「ほんで、いいがでないか」。

 

形相〈ぎょうそう〉はいかめしいものの、
高校生を中心とした面々のやりとりは優しい。

迎える家では、儀礼の後で、たいてい
「○○君けエー、でこーなって」と言葉掛〈が〉けをなさる。
「アマメ」に威〈おど〉かされて涙ぐんでいた子供が、今、
「ハグ」役割を担〈にな〉う少年になって回っている。

そのことに対する喜びと、
寒空〈さむぞら〉の元を歩む、みんなの宝物である少年に対する慈〈いつく〉しみが、
つい言葉掛けとなって溢〈あふ〉れ出る、
といった趣だ。

 

一行の足下〈あしもと〉を皎々〈こうこう〉と照らす冬の月が、
心の中にも灯りを点〈とも〉し出す。

伝統行事の持つ世界は、限りなく深い。

 

 

地鳴り 読者投稿欄 2004年2月17日(火)

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一週間後に、この記事を読んで加賀市の福田久也さん(68才)という方が、読者欄に
「繰り返し読み、…心温かくなった。」と投稿なされた。

 

※最初の写真 プロはこう撮る。

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でも、どこの海岸なのか分からない。

データーとして写真から読み取れるようにする(ー私)、

二人の語りから物語り・伝説を楽しむ(ー放送)、それぞれの目的の違いがよくあらわれている、なぁー!

 

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能登の「むかし話の旅」先は

第1巻 1,3,5,7,9、11、12話

第2巻 13、15、17、19、21、22、23話。

 

→節分行事の様々と「平太郎」談義は、ブログ「能登のうみやまぶし」で。