能登を訪れた人々ー原田信男さん
今朝(2021年1月30日)の朝日新聞朝刊・天声人語に原田信男さんの『「共食」の社会史』説が載っていた。
原田さんのお名前は、このところ、あちこちで目にするが、能登へも来ておいでる。
辞典・書籍刊行の下書きのように使っているこのブログで確かめると、
おいでたのは2011年(平成23年)2月28日のことだった。
あの時、同じ明治大民俗学系のためだと思うのだが、親しかった斎藤弘美ーゆう・えんについて | 会社概要 (yuen-net.com)ーさんが、久しぶりに能登に来ることになっており、その時、彼女の先輩であるご夫婦が共に、当地においでになり、翌日懐かしの地を巡る予定だったのである。
ちょうど10年経つのだ。記憶はあいまいなのだが、斎藤さんはインフルエンザに感染したかで来ることが出来ず、初対面のご夫婦と夕食を共にし、専門をうかがったのである。
ブログでは、そこのところを
原田信男さんは、斎藤さんからは、日本の食文化を体系的に研究なさっておられる方だと聞いていたのだが、お話を伺っていると、中世村落史がご専門とのこと…。
それで、昨年末で日本民俗学会も退会し、ボーとしている頭ではあるが、翌日回るコースがある程度イメージできた。
今、あらためて斎藤さんの専攻を見ると日本村落史となっている。知らんかった。
と書いている。今これを書きながら 斎藤さんの専門が「日本村落史」?と驚いている。学界で知り合った頃は、Fm東京で筑紫哲也氏と対談番組をやっていて、ハーイあなたの斎藤弘美でーす。とマイクに向かって呼びかけておいでたというのだから、
村落のどまんなかにいる私としては、「日本村落史」 と斎藤さんがつながらなかったとしても、宜なるかなーであろう。
翌、3月1日(火)、次の集落と田光景をご案内した。
午前9時から3時間半ほどで
若山荘の広栗・岩坂・鈴内・経念・古蔵・火宮田中家(あえのこと執行家)・大坊・上黒丸(黒丸家)・八太郎峠・吉ケ池
大谷町外山・仲谷内・作ヶ平・森吉・大谷・○長橋(台地田)・馬緤・(大谷)・仁江・○真浦(棚田)・
上町野庄の○曽々木(ドウブネ)・○佐野・小間生・桐畑・大町泥木・西方寺(珠洲焼窯)・石尾谷内・鵜飼・飯田
を案内した。
○は、この時期にはまず行くこともない所なので、私もシャッターを切ったのだが、佐野まできたところでカメラに記憶媒体のCF(コンパクト・フラッシュ)を入れていないことに気づき、撮れたのは次の2カ所のみ。
原田信男氏から頂いた御著書
7日、原田氏から2冊の本と「網野史学をいかに継承するか」と題する論のコピーが届いた。史学継承論は名文で論点もわかりやすい。
それに頂いた本がタイトルからして興味深い。
『中世の村のかたちと暮らし』角川選書地形・景観・暮らしをキーワードに、近世へと移行する中世の村の実態を立体的に描く。
ジャンル日本史・民俗学
当時のプロフィール
宝立山にもっとも近い集落・佐野の田とおしはら祭り
おしはら祭りの写真は、2003年3月3日調査時のもの。
行事内容については
『石川県祭り・行事調査事業報告書 石川の祭り・行事』「(九)輪島市町野町佐野のおしはら祭り(執筆・楠知之)」(平成11年3月石川県教育委員会刊)、