数え日のころ

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2020年12月25日

『とも同行の真宗文化』を送った友だち・知人の数人に、このような読み方をしてくれたかたがいるよー、と11月26日の富山新聞、12月10日の北國新聞などの記事を送った。

その返事。

太田さん(学生時代の姓で書く)は、小堀たちとひたすら書道室で墨をするか書いていた。

それが、今、この字だ。

住職として、字を書かなくてはならないときがある。想像できない世界だが、色紙を頼まれたこともある。

-字は個性ーといいわけをいいつつ書く。

小堀は小堀遠州の子孫で滋賀県遠州ゆかりの寺庵を守っている。

 書が 身体になっている存在が 知り合いにいる尊さを思う。

まさに歌仙の書だ。

 

大学祭のシンポの折、会場にいて,何か納得できず、共通語と方言について発言したことがあった。

その後、シンポを企画してた一人だったはずの野村さんが、寄ってきて「方言にこんなに深い問題意識を持っている人がいるなんて…」のようなことを言った。

文集に一文を書いたときも、そこまで見抜けるの?と,驚く感想を言った。

それから50年、『妙好人千代尼』を送ったとき、読み込み抜いた感想を送ってくれた。

思索し尽くしたような内容でありながら、日常そのままが深い感性世界をお持ちのようなのである。

50年ぶりに静岡を訪ねたとき、無理をお願いして,野村さんに沼津を案内してもらった。いっぺんに沼津が好きになった。

今度も

「今の時代、民族文化を継承し、みつめ直していくことが、とても大事なことだと思います。南天と千両の実が庭を彩っています。」とあって、南天の写真絵はがきをいただいた。

 

宮城島さんは一筆箋一枚ごとに、綺麗で強い字でひとつづつのまとまりを書いてくださる。わかりやすさ典型の一つだ、と思えるようになってきた。

 

太田さんたちが書にいそしんでいた頃、こちらは準硬式野球、グリー、ギター弾き語り、バイト、なによりも138単位で卒業できるのに180単位近く習得したくらい、勉学・読書にいそしんでいた(ことにしておこう)。自分を主人にする思い出は、降る雪や小鳥の声、渡る風などに乗って、美しく変化する。

 

※ここでタイトルをどうしようか考えた。はがきの宛名面、彼女の名の上に「数えびのころ」とある。???だ。ひよっとしたら「数え句」?

などと思いながら調べるとみつかった。

「数え日」今年もあといく日と、指折り数えるほど暮れが押し詰まること。また、その押し詰まった日。《季 冬》「―の欠かしもならぬ義理ひとつ/風生。