28日当寺の聖人ご命日お勤め、その他を終え、再び富来へ向かう。
満日中の登高座、報恩講式・嘆読文拝読―その間、前日と同じように御門徒の方々が伽陀、文類偈・三朝浄土の大師等~如来大師の恩徳は…まで全てを唱和なさった。
大したものだ。
その後、御法話二席。
29日お浚い、絵解き説法
翌29日は朝7時過ぎからお浚いのお参り。
引き続き御伝鈔「絵解き法話」を行った。
下巻第五段。4幅目下から2段向かって左、3段目が第5段と対応する。
富来七浦と高爪
三日間で、なんと9枚の資料を同行さん達にお渡しした。
聞くだけでは用語の意味・用語そのものの字がわからなことがおおく、とくにフェイスシールド、聞く方のマスクは聞き取ることも大変だという事情から用意したのだが、ゆっくり同じ言葉をいいかえ伝わるようにする、点から言えば全くだめだったかかも知れない。
信心をいただいて歓喜にある人は弥勒菩薩と同じ正定聚に住すから、今回の和讃は始まっているので、像法期・海の修験を伝える中心地帯の富来七浦と高爪山の関係を見ていくために、今まで気づかなかったというか無視していた七浦から義経・弁慶、俊寛・康頼などが高爪を目指した伝承、竜宮・竜灯などの資料も多く用意したのである。
「釈迦の遺法ことごとく龍宮に入りたまひにき」「像季末法のこの世には緒善龍宮に入りたまふ」(正像末和讃)の具体的世界である。
その七浦・藤懸郷の中心が後の笹波、さらに鹿頭に独立していく常徳寺エリアだということが分かってきた。お寺の山号・嵯陀山も海の修験地をくさい。
そのこともあって、帰りは七浦の北を辿った。