珠洲市仏教会
珠洲市は人口およそ14000人。今年65才以上が5割を超えた。
そこに寺院が59ヶ寺ある。
兼務、代務者寺院もいくつかあるのだが、
真宗大谷派が39ヶ寺
その他20ヶ寺。
真言・天台も宝立山・山伏山といった山岳霊場を背景としており、
梁塵秘抄300番に我らが修行にいでしとき・・・以来の多くの宗派が存在する地域なのである。
この混在とした宗派が合同で行う仏事がある。
戦没者追悼会
珠洲からは満蒙開拓団として多くの人が旅だった。寺院も満州へ行った。
9師団に属していたので、上海事変から戦地に赴いた人が多く、教員の先輩、門徒さんの中には、父の顔を知らない方が何人もおいでる。
平成6年が戦後50回忌。
それまで、仏教・神社一年交替、全住職、全神主が参加しての追悼会が営まれていたのである。
狼煙沖では潜水艦が沈没し、その乗組員の追悼も行なわれていた。
その後、規模は縮小されたが、追悼会は現在も続いている。
珠洲市仏教会は、真宗と他宗合同仏事をどう行うか?から生まれたはずで、最も数の多い大谷派から会長職、副会長が他宗の持ち回りでえらばれ、1期2年、2期交替の暗黙の了解があった(はず)・・・。
ところが、元教育長の前会長が平成19年に期間半ば西帰され、そのあとを、前会長と親しかったこともあり、私が引き受けた。
その時には、以前のような全寺院招待ではなく、町ごとの追悼会が行われなくなったところもかなりあったのに、総会があるはずだとか、
役に関わっていないのに、こうだったという人が多く、わけがわからないまま、何と11年もさせていただく羽目になった。
素直に言えば、誰もやりたがらない仕事で、宴席があっても(次に引き受けてくれ、と言われるかと)、目さえ合わさない人まで出てきた。
こちらも、それならと、話を聞きたい人を招いて講演会を催したりすればいいのだけれど、部屋さえ片付かない状況で、無理してもでも話を聞きたい人がいなくなっている今がある。
組会ごとにアピールし、
ようやく、父の世代に戻っての順番で、次の会長を引き受けて下さる方があらわれた。
一昨日、昨日と今までの資料を整理し、全寺院に配布する3枚の資料を作成。現副会長宅、次期会長宅へおじゃまして、
この任務と、お別れした。
名刺の珠洲市仏教会会長は、昨年度末新たに作った折、書かないでいたので、線を引く作業はなし。
これでいいのだろうな・・・。
今日は、氷見まで推進員の方々を送る予定だったのだが、それがなくなった。
申し訳ないが、
それで、この作業が出来ている。