初任校―羽咋工業高校―羽咋本念寺さんで大谷婦人会、夜ー春日中学校同窓生と懇親会
5日大谷婦人会で羽咋本念寺さんにおじゃました。
最初の下宿Sさん方は山門前四・五軒目、次の下宿・平場アパートも数軒隔てた中央通りにあった。
暑い中を懐かしさのあまり歩いた。
汗が噴き出すと、夏休み中も野球部のノックをし、豆だらけの手や、夕方ギターを持って千里浜海岸で夕陽を眺めながらつま弾いた頃が蘇ってくる。
2年間野球部の部長をし、実質はノッカーだったのだが、一年目甲子園予選決勝で敗北。最後の兼六園球場の試合だった。翌年、新球場の開幕記念試合を平安高校と行い、2年間で最も勝てなかった時でベストエイトだったのだ。
などと思いだしていたら、講義にならない。
ともあれ、いつも眺めてこころの中で手を合わせながら通ったお寺で講義をすることになるとは・・・。当日、話した法縁ど真ん中。
その後、志雄のお寺によって宗教民俗学会委員で先日金沢別院に講義に来られた斎藤壽始子先生の話題で盛り上がり、盛り上がりついでにご本人と電話でお話し。
その後、穴水の本屋さんで知人と仏教書を眺めながら真宗談義・・・
家へ帰って遅い夕食を食べていると、中・高の同級生で滋賀県警の署長にもなり、さらに出世したはずの懐かしい友が帰ってきているので出てこないかのと電話。
お酒は飲めないし、暑さの中での講義や運転が続き、翌日ゆっくり会おうと返事したのだが、どこにいるのか電話をかけ直すと、すぐ近くにいるという。
出かけた。
行ってみると友・マサの母校・上戸小から6人、隣の直小から1人が部屋を借り切っていた。
そこへ飯田小の私、後でもう一人飯田小が混じって総勢9人でワーワーになった。
ヘッチにカンマにタチーマサにホウサクにカンタロー・・・12才から14才頃に戻っての大騒ぎ。
タチ―マサには、前から会いたかったし、帰ってくることがあったら、連絡してくれと近所の同級生に頼んでいたこともあって、本当に、皆で会えたことは嬉しかった。
ブログとFBは、平成元年卒業生の話題が占めている。
そんな頃、同じ日に中学の同級生に、初任校・羽咋。
どうなっているのだろう?・・・の感慨