柳宗悦氏ー1961(昭和36年)5月3日
今日5月3日は民藝の語を作られ、棟方志功の画風に「慈」の深みを育まれた柳宗悦(やなぎむねよし)氏のご命日である。
つい先日も、七尾きくざわ書店でわたしにとっての新たな同朋・法友となられた方に、柳宗悦著『南無阿弥陀仏』(岩波文庫)をお勧めしたところだった。
今まで、柳氏について何度も書いているが、2010年(平成22)6月7日に書いた「柳宗悦五十回忌法要 城端別院善徳寺」の全文、および2記事の入口(窓口)を添付します。
「柳宗悦五十回忌法要 城端別院善徳寺」2010年(平成22)6月7日
『美の法門』
「2010年6月5日 不生院釋宗悦師五十回忌法要本 発行 となみ民藝協會」 の奥付け
漉き和紙の表紙。鈴木大拙筆院号法名写真など、凝った作り。
安心決定鈔、大智禅師の一文を挙げ、「有好醜者 不取正覚」の第四願から「美の法門」が説かれる。
「柳宗悦と南砺の土徳」太田浩史・となみ民藝協會会長著。
「美の問題は単に美の問題だけではない。
そこに真や美や聖の問題を含まないなら、真の美の問題はない。…」『工藝』115号の柳師の文を引用しておいでる。
このあとの講演、シンポでも鈴木大拙の「日本的霊性」が大きく取り上げられた。
民藝の典型・珠洲焼、大拙のしばらく住んだ珠洲、そして、この「工藝」の文が昭和19年、静岡市大谷(おおや)で執筆されたと紹介されている。
静岡大学が安東から大谷に移り、単位集めを趣味にしていた学生時代のある頃まで、大谷に通ったことがある。
精神運動を抜きに考えることのできないとされる「民藝運動」と関わる地の多くを知っていることになる。民藝運動がうねりとなって身に迫ってきた。
法要にあわせて、日本民藝協会全国大会が開催された。
記念講演(別院) 日本民藝協会会長 水尾比呂志氏、柳宗悦研究家 イ・スンヒョン氏。
シンポジューム(じょうはな座) 基調講演 内山節立教大教授、中沢新一多摩美大教授
パネルディスカッション 太田、中沢、内山、イ氏に石井富山県知事。
夜、城端別院で懇親会
荒山峠越えで、城端へ向かった。
久しぶりの原山(芹川)の白鳥。
旧鹿島町には原山が芹川、久江(くえ)、高畠と三カ所ある。
別院山門。
右に「第六十四回民藝全国大会」
左に「柳宗悦師五十回法要」
法要は、楽(がく)がつき、洶(ゆり)八ツ。
和讚は「一一(ちいち)の花の中よりは…」
「美之法門」碑前で献花式があった(ようだ)。
表「美之法門 宗悦」
裏「昭和廿三年八月佳晨 日候 美之法門開闡之處」(棟方志功著)
昭和34年に建立された。
開闡は「かいせん」と読む。
着物姿の女性たちが、解説を見て何て読むの?カイブンかな…
と話しておられたので、自信はなかったが、
前の御門主が闡如(せんにょ)とおっしゃったので、センではないですか…カイセン…と、口を出したのだが、
今思えば、『正信偈』に「光闡横超大誓願(コウセンオウチョウダイセイガン)」がある。
この部屋で「美之法門」をお書きになったらしい。
色紙は「今日 空 晴レヌ」。
「第64回日本民藝協会全国大会」冊子表紙見返しに次の文が載る。
「誰も彼も、只この一語を云ひ得る日を持ちたいではないか。
長い雨の後、一點の雲もなく、蒼々とした空が晴れ渡る時の、すがすがしさは、誰もが味はふところ。
だが、空の晴れを待ちわびる人は多くとも、心の空の晴れる日を待つ人は、如何に少ないことか。
…」柳宗悦『心偈(こころうた)』第五四首。
作品三点は、いい物なのだろうが、私にはわからない。
じょうはな座。
この雰囲気の中でお二方の基調講演があった。
シンポに移る幕あいに、司会の森田佳子という方が「語り部」となって、
城端の地名由来民話を城端弁?で読んでくださった。
読み終わると同時に幕が開く、構成の妙。
御斎(懇親会)
参加者は青森から熊本まで234名(名簿)。
私は民藝協会に所属していないので、個人参加だったのだが、行ってみると準来賓扱いになっていた。
それで、場所取りもよく、以下の写真が撮れた。
御膳は、誠花流。←「精進料理、お斎、進士流」
雅楽で始まり、精進料理をいただき、
「庵唄」があって、無縁料理へと移る。
楽曲は「越天楽」のように思えたが…。
水尾比呂志氏の挨拶。
この方の本を持っていたような気がして、調べてみた。
買った記憶はずっと昔で、同じ方ではないのかもしれないと思いながら探すと、見つかった。
『美術選書 日本宗教造形論』美術出版社1966年刊。
1969年2月に購入している。大学4年生の時だ。
大谷大学大学院受験に備えて買ったようだ。線も引いている。
出版された時、水尾先生は36歳。
同じ方だ。
なんだか、時空を超えた旅をしてきた気分だ。
庵唄。「玉川」「五月雨」の2曲。
横においでた北陸銀行執行委員さんによれば、最高のメンバーだそうで、
目をつむれば、完全に女声の端唄。
庵唄は、5月城端曳山祭りの際に唄われ、30ほどの歌詞があるらしい
「料理準備関係者のブログ」引用
ホテルからの景観。
南砺市城端から、砺波市のこのホテルに移るのに、迷いに迷って1時間以上、夜の道を彷徨った。
帰りも高岡へ向かっているつもりが、いつの間にか小矢部地内におり、
あきらめて能越道に乗り、荒山峠越えで帰った。
何冊か買った本の一部。
『棟方志功と柳宗悦』(日本民藝館創設70周年記念特別展)
柳師は明治22年、棟方師より14年先に生まれ、お二方とも72歳でこの世を去っておられる。
『柳宗悦 妙好人論集』寿岳文章編 岩波文庫。