県少子化対策顧問柏女氏、大月みやこさん―新聞記事

 

 

この年になり、いろんなことをしてきたので、朝新聞を開くと必ずと言っていいほど関係ありそうな記事に出会う。

今朝は、次の2つの記事が目に止まった。

朝刊北國

○柏女霊峰氏 県の少子化対策顧問に。

淑徳大学教授、教育心理学・児童福祉専攻

 

 

大月みやこ氏 デビュー55年

今が一番幸せ

が目に止まった。

 

 

柏女氏を調べて見ると、4組の大谷派寺院の方だった。御住職かもしれない。

この組のお寺からは前日体大学長谷釜了正氏、故日野環大谷大教授?、イラストレ―ター故粟津潔氏などを輩出し、4組近郷の組でもかなりの学者や画家などが出ている。これらの人々を巻き込んだ教学研究会のような組織ができれば面白いのにと、まず思った。

柏女氏が目に止まったのは、子供のころ、父方の遠い親戚にガシャメという変わった姓の人がいると聞いており、伯父がお説教で当寺に来ると父とガシャメが、ガシャメがと話題にしていた。

それが柏女で、カシワメがガシャメになっていたのだ。見たこともない霊峰氏だけれど、珠洲に回り回っての親戚があり、この方の先代だろうが話題になっていた、などご存じあるまい。

 

大月みやこさん(同学年)とは、ついこの前、50年前の歌との関わりでお会いしたのだが、もうデビュー55年なのか・・・の感慨。

 

 

f:id:umiyamabusi:20190426222622j:plain

昭和43年、能登半島が一周出来るラケット道路の完成、能登半島国定公園記念に「啼くな小鳩よ」「ここに幸あり」コンビの飯田三郎・高橋掬太郎氏(他に「酒は涙かため息か」「古城」など)が手掛け、新人に近い大月みやこが歌ったのが「奥能登ブルース」である。この碑はラケット道路沿いにあり、碑文を高橋掬太郎が書いた。高橋は「砂取節」(県指定)も全国に紹介している。キングレコードでは飯田三郎の先祖が珠洲市飯田町出身で先祖の地の歌と言うことで作曲したのだと伝えていた。私は当寺学生で事情は知らないのだが飯田三郎が本堂で講演したらしく奥能登ブルースの色紙が家にある。そこから話が伝わっていき、この日を迎えたのだった。

※さん、氏が抜けた。当寺→当時

 

umiyamabusi.hatenadiary.com

 

 

f:id:umiyamabusi:20190426222740j:plain

50年前の歌なのに、弦さんが「奥能登ブルース」を奏でると一緒に歌い出される方がかなりいた。そこで弦さんは一緒に歌いましょうとおっしゃり、多分、テレビ用には弦哲也伴奏大月みやこ歌だったのだろうが、大合唱になった。私はCDを買って練習しておいたので邪魔せぬくらいに歌えた。


umiyamabusi.hatenadiary.com