FB 2月9日(土)より   春のあえのこと

 

2月9日(土)

今日は、多くの地域で「あえのこと」が行われる。かつて、農家では、名ばかりであってもほとんどが意識していたが、門徒宅のように、報恩講や斎(とき)始めがなく、また、親作が小作人と労働契約を結ぶ行事でもあるので(本来、こちらが重要だった)、真宗以外の農家に、しっかりした形で残ってきた行事である。
 昨日の8日(「こと八日」)は像法期の主仏・薬師如来の縁日で、真言檀家などは、仏事を営み今日を迎える。松も8日に山から求めてきたはず。

かつて書いた新聞記事で、今日の行事の一端を考える。

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「舞台」2008年(平成20年)9月27日(金)
北國新聞夕刊記事。「あえのこと」「あいのこと」

[本文]
多くの方言資料を残した馬場宏さんが、
「あえのこと」をあいのことだ、とおっしゃたことがある。
実証的研究で定評のある坂下喜久次さんも「あいのこと」だとおっしゃっている。
 今年の北陸三県民俗学会の共通テーマーが田の神に関連し、発表の機会が与えられたので、それを機に、あらためて「あえ」「あい」の流れをたどってみた。
 昭和五十一年に「奥能登のあえのこと」として国の重要無形民俗文化財に選ばれ、ユネスコ無形民俗遺産登録も視野に入れているこの行事は、『七浦村志』(大正十年間)に「田の神様」として紹介されたのが初出である。
その二年後に刊行された『石川県鳳至郡誌』には「あえのこと」(大屋村)が載った、
[※西山註:「あえのことは間の事の転訛にして、秋季祭と正月の中間に行はるゝが故に名づく」とある。北陸はイとエの区別がはっきりしない4母音地帯と言われている。]

また行事の詳しい様子をはじめて全国に紹介した小寺廉吉さんは、「アイノコト」を用いておられる。
ところが『農村分類語彙』(昭和二十二年刊)にはじまる民俗辞典類は、すべて「あえのこと」が見出しとなっており、「あえ」を饗応(きようおう)の「饗(あえ)」であると説明する。
[※註:このことを決めたメンバーの1人から聞いた話では、その方は「新嘗祭研究会?」にも所属しており、そのメンバーが話し合って、「嘗」の字を当てることにしたのだという。]

一方の「あい」は、収穫祭と正月という大きな行事の「間(あい)」、神々の「会い」、実りをもたらす「アイ」の風が吹いて欲しいという願いをこめてなど、多様ないわれと共に伝承されていた。
 説明しやすい、「饗(あえ)」が研究者によって選ばれ定着したのだが、その名の奥に、多くの人びとの願い・報謝の思いを込めた言葉がある。そのことを心れず語り伝えていきたい.(珠洲市
西山郷史(にしやまさとし)
加能民俗の会副会長
[参照]
http://d.hatena.ne.jp/umiyamab…/…/1228653263=あえのこと・アエノコト基礎資料

馬場さんは、80歳を過ぎても原付バイクで、あちこちに調査にでかけられ、相当高齢になっても泉丘高校定時制生徒だった。汽車に乗り合わせたとき、学割をお見せになり、これで方言調査に出かけるのだ、と楽しそうに話されていた。

作詞・作家なかにし礼氏の母は、能登町恋路・坂下家の出、坂下喜久次さんはなかにし礼氏と従兄弟。研究・調査・執筆の合間に披露なさる三味線・民謡がお上手だった。ご夫婦で礼氏を○○ちゃんと呼んでおられたが、文才に音楽。似るものだと思っていた。

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