「宗祖聖人御旧跡巡拝」(久乃木豊四郎巡拝帳、文化五年・1808~)全231ヶ寺中1~50ヶ寺 、経過
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真宗文化資料「宗祖聖人御旧跡巡拝」(久乃木豊四郎巡拝帳、文化五年・1808~)全231ヶ寺を、このブログにでも残しておかなければ、私が作業が出来なくなる時点で、存在そのものさえ分からなくなってしまうので、2016年頃から書き始めた。
10月頃には『妙好人千代尼』執筆のため、資料集めなど中心が千代尼に行き、真宗門徒巡拝帳の白眉「豊四郎巡拝帳」の紹介が途切れた。
やはり、伝えなくてはならない。
経過紹介の記事を載せる。2016年(平成28年)10月24日に書いたものである。
「宗祖聖人御旧跡巡拝」(久乃木豊四郎巡拝帳、文化五年・1808~)全231ヶ寺
文化5年豊四郎巡拝帳をこのブログに紹介しているのだが、二カ寺ほどコピーをお渡ししたため、手元に無いものや、終わりの方が折れ重なっていてはっきりしないものがあるので思い切って9月26日(2016年)に豊四郎子孫家へお寄りした。
「鹿島町史」通史民俗編で「年中行事と宗教生活の諸相」と題して400字詰め原稿用紙約180枚書いて出版されたのが昭和59年のこと。
その時に、資料として届けられたものなので、少なくとも33年(2016年)は経っている。
今、原本と対応させておかないと、もう機会がないだろう。
10月20日にお借りしてきた。
私の調査原則は、持ち主家で書き写すか、写真を撮ることにしており、借りはしないのだが、
この巡拝帳は、前のコピーと対応させるにしろ、写真を撮るにしろ量が多すぎる。
それで、25日までお借りすることにした。
御当主は、90を越えておられ、この巡拝帳が町史編纂室で整理されたことになった由来などをはっきり覚えておいでになり、私が『蓮如さんー門徒が語る蓮如上人伝承』に書いた文のコピーもお持ちになっておいでた。
それで、スムーズに話が進み、今、整理の最中である。
今まで、豊四郎を「とよしろう」と読み、トヨシロウジュンパイチョウと言っていたのだが
御当主の話だと、屋号を「ブンシロウ」と言うのだそうだ。
ということはトヨシロウでは無くブンシロウとしなくてはならない。
※25日にお返ししてきた。
巡拝帳を間に、ご夫婦との記念写真を撮った。
いい写真になった。
お送りしたら、10歳ほど若く写っている、とのお返事をいただいた。
いい笑顔ですね、とこちらも声が弾んだ。
※2019年(平成31年)4月7日(日)追記
昨年「10月14日(日)石動山秋のつどい」の折、鹿島町史時代、
町史担当の急がしい中で「巡拝帳」の翻刻をして下さった桜井憲弘さんと久しぶりにお会いした。
「桜井さんが読んでくださったおかげで、豊四郎巡拝帳が知られることになった(桜井さんの業績を前面に出さないまま・・・)」と長年思っていたことをいって感謝すると、桜井さんは「西山さんが各所で書いてくれなかったら、巡拝帳は表に出なかった(西山さんのおかげです)。」とおっしゃった。
そういう見方も出来るのか?とホッとした。以下その時の記事
石動山 秋のつどい 10月14日(日)執筆・講義(放送・取材・案内)
天平太鼓
『鹿島町史』調査のため、当時の鹿島町通った頃、カセットテープ(「能登歌標」)で聞いていた「みれんぼ橋」などの懐かしい歌声に乗ったキビキビした踊りが続いた。
曲と共に、一気に40年前の自分に出会う。
五社権現の解説、桜井憲弘さんは歴史学者で、その時の事務も担当なさっていた方である。
桜井さんに会える今回の講義、さらに歌。「みれんぼ橋」を聞いたそれだけでまず、石動山へ来た甲斐があった。
時忠長男時実(平松家)権大納言平松時章(1754~1828)、寛政3年(1791)7月28日 石動山総代〈五智院〉を通して、則定想左衛門、時国右京佐へ詠草を送る。
ありし世にそのいさをしは大谷や苔の下にも名は朽ちずして
白檀香を包みて墳墓に手向けるとて
ほのかにも煙のうちに立そひてかへさむ魂の薫ともなれ
時国に
はらからのふたつの家のたいらけくやすらかにして世々に栄えん
『能登志徴』下 p281
旧観坊
左から、倶利伽羅不動(剣宮)、蔵王権現(火宮)、虚空蔵菩薩(大宮)、十一面観音(白山宮)。客人神とされているのは、勧請してしまうと、年中、雪が降るからだといわれている。このような話から入って行くと興味を引くのかも知れない。
将軍地蔵(梅宮)将軍地蔵は気多神の本地である。
記録からは、聖観音が本地であることの方が多い。
普段は見ることが出来ない、五社権現本地仏が公開された。
本地仏はいずれも素晴らしいもので、石動信仰史の重みを感じた。
本地仏に出会った人、約70人
現地で出会った鵜祭道中の宿保存会会長事務局長道端さん、kkぶなの森ディレクター今井さんと周囲を歩いていて、片付けがはじまった頃に飛び込んだ。むかし使った言葉ーかろうじてセーフ。
つどいに参加した人々は130を数えたということだ。
秋の爽やかな石動山だった。