『論語』引用-「不能事、人焉能事鬼神」と「未能事人、焉能事鬼」

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『知られざる親鸞松尾剛次著、平凡社新書。「親鸞聖人正明伝」を中心に、聖人の若き時の学問、儒学の学びなどを取り上げている好著。「親鸞聖人伝絵」の方は筑波・熊野・箱根修験との関わりをキシッと追求しなければならないはず。松尾さんとは、近世仏教会三河合宿で共に学んだはず。その時は山形大学工学部の助教授だったはず。この本の発行年2012年時点で同大学人文学部教授、東京大学特任教授とある。



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『新釈漢文大系1論語 吉田賢抗』明治書院


現時点で、疑問に思っている真宗の用語、とりあえずここまで。

あとは、用語編にまとめて、『真宗習俗・文化論-生活の中の真宗』本にしよう、と考えている。

 

鬼神を孔子はどう捉え、親鸞聖人はどう見ているか、である。

ひとことでいうと、人を越えた存在を鬼神と一般(孔子)では見、聖人は得たいの知れない「もの」ととらえている、いわば「物忌み」知らずの対象としている。

 

根拠を以下に挙げる。

真宗聖典』(大谷派   教行信証(化身土・巻)三八八ページ
論語』に云わく、季路問わく、「鬼神に事えんか」と。
子の日わく、「事うることあたわず。人いずくんぞ能く鬼神に事えんや」と。已上抄出

[原漢文]

真宗聖教全書二宗祖部』教行信証化身土巻 後序  201ページ
論語』(巻六)云。「季路問、事鬼神」。子曰、不能、人焉能事鬼神」已上抄出


論語』先進十一 265 新釈漢文大系1明治書院  二四〇ページ
季路問事鬼神。子曰、。敢問死。未知生、焉知死。

季路鬼神に事ふることを問ふ。
子曰く、未だ人に事ふること能はず焉んぞ能く鬼に事へんと。敢て死を問ふ。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らんと。
[通釈]
子路が、「鬼神につかえる道、すなわち神霊につかえ祀るにはどうしたらよいか」と質問した。孔子は、「まだ人に事えることができないのに、どうして神霊に事え得ようや」と答えた。すると、子路が更に、「それでは死とはどういうことでありますか」とたずねた。孔子は、「まだ生きるということもほんとうに知らないで、どうして死ということがわかるものか」と答えた。

[余説]本章は、「子不語怪・力・乱・神」(168)と同じように、鬼神とか、死とか、切実なことではあるが、形而上的なものについての解決よりは、人生間題の処理、人として如何に生ぎるかということの解決を、まずやるべきだという孔子の答えと受けとっておきたい。子路が、彼の性格で、つっ走った質問をして先生からたしなめられることは再三であるが、この章もその一つだろう。朱子を始めとして、多くの人が種々理屈をつけて解釈しているのであるが、かつて焚遅が知を問うた時に、「民の義を務め、鬼神を敬して之を遠ざく」(140)と答えたように、不可知の世界に低迷しないという現実主義・合理主義の思想をここにも見ることができよう。

 

参考・論語引用の続きの文

真宗聖典』(大谷派)   教行信証(化身土・巻)三八八ページ 
竊かに以(おもん)みれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛なり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うることなし。ここをもって興福寺の学徒、太上天皇諱尊成、今上諱為仁聖暦・承元丁の卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。
これに因って、真宗興隆の大祖源空法師、ならびに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて、遠流に処す。予はその一なり。しかればすでに僧にあらず俗にあらず。このゆえに「禿」の字をもって姓とす。
下段・原文
竊以聖道諸教行証久廃浄土真宗証道今盛。然諸寺釈門昏教兮不知真仮門戸洛都儒林迷行兮無弁邪正道路斯以興福寺学徒、奏達太上天皇号 諱尊成今上謹為仁 聖暦承元丁卯歳仲春上旬之候 主上臣下背法違義成忿結怨。因茲真宗興隆大祖源空法師并門徒数輩不考罪科狼坐死罪或改僧儀賜姓名処遠流。予其一也。

 

よく知られている『論語』の文(サービス)

論語』新釈漢文大系1論語 明治書院  為政第二 四〇ページ
子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩。

子日く、吾十有五にして學に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に從へども、矩を瞼えず。

[通釈]
孔子言う、私は十五歳ごろから先王の教え、礼楽の学問をしようと決心した。三十歳にしてその礼楽の学問について独自の見識が確立した。四十歳ごろで事理に明らかになって、物事に惑うことがなくなった。五十歳になって、天が自分に命じ与えたものが何であるかを覚り、また、世の中には天運の存するということを知ることができた。六十歳ころは、何を聞いても皆すらすらと分かるようになったし、世間の毀誉褒貶にも心が動かなくなった。七十歳になっては、心の欲するままに行うことが、いつでも道徳の規準に合って、道理に違うことがなくなって、真の自由を楽しめるようになったようだ。