荘川桜(荘川七郎)-「NHKこころの時代」の思い出-『さくら道』

 

『さくら道』の荘川桜が石川県輪島漆芸美術館前に、「荘川七郎」名で咲いている。

もっともっと知られてもいいと思う。

例えば、地産地消文化情報誌『能登』の連載、「伝説の風景」に取り上げることが出来ないものかと、写真にしてみたが、いい角度から桜が撮れない。

観賞している人にも出わない・・・

もったいない・・・。

 

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『さくら道』中村儀朋さん編著。中村さんはNHKディレクターで、御母衣ダムをテレビで取りあげた時、老桜の移植をカメラにとり続け、成功に感動した佐藤良二さんが、太平洋と日本海を桜の花で結ぼうと植え続けた。中村さんの番組は「北陸東海」などで放送され、さらにこの本になり、映画にもなった。


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荘川七郎。碑には「荘川七郎 御母衣ダムで樹令四百年の荘川桜の実生樹」とある。

 

以前のブログより
『さくら道-太平洋と日本海を桜で結ぼう-』中村儀朋著・風媒社刊。2009年(平成21年)12月6日

ほぼ1年半(もっと前からかも知れない)、2つのテーマーで、メールのやりとりを行っていた中村さんが、12月3日(木)、わざわざ珠洲までお越しにになった。
午後1時の特急バスで飯田車庫前到着、5時半のバスでお帰りになるという、あわただしい日程の中で、ほぼ3時間のお仕事を終えられたあと、
初対面でもあり、過去の仕事などを語り合った。
お住まいエリアにある名古屋の「海越出版社」から友人が本を出した折、同社主催のパーティに出たことがあるという話から、同エリアの「風媒社」から中村さんが著書をお出しになっており、その一冊が『さくら道』であることを知った。
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いやー
お会いする前に、確かめておけばよかった。
手元に『さくら道』があったなら、サイン・サイン!、とプチミーハーは大騒ぎするのに…。
お帰りになってから、『さくら道』と『いま一度白きノートにー山崎礼子・常臥歌集ー』を注文した。
『さくら道』は、名古屋から金沢を結ぶバス路線・名金急行線が走る街道沿いに、太平洋から日本海を桜でつなごうと、病で47歳の生涯を閉じるまで桜を植え続けられた、旧国鉄バスの車掌・佐藤良二さんの記録・ドキュメントである。
1987年には、中学校1年国語教科書(光村図書)に「太平洋と日本海を桜で結ぼう」のタイトルで採用され、
1994年には「さくら」の題で映画化された(監督・神山征二郎、出演・篠田三郎田中好子樹木希林山本圭など)。
輪島市内に、佐藤氏から送られた桜があるという。
輪島漆芸美術館まえには、荘川桜の種から育てられ「荘川七郎」と名付けられた桜ー種から育てたものを実生というのだそうだ。読みはジッショウではなくミショウ。はじめて知った。ー、
河合小学校には「さくら道」関係の桜があり、それらの関係で、輪島市二俣小学校が映画のロケ地となったそうだ。

時は流れ、
今年3月17日には、読売テレビ開局50周年記念ドラマとして「さくら道」が放映されたという(出演、緒方直人・薬師丸ひろ子志田未来など)。
そのドラマを見た連れ合いは、すごく感動したそうだし、
私は、放映一週間後の24日に、その道・国道156号を通って高山へ行っている
壮大なさくら道を作ろうとした話については記憶があるものの、御母衣(みぼろ)ダムに沈もうとしていた照蓮寺境内の桜を移した「荘川桜」・「桜守」話とごっちゃになっていて、ドラマの方は見たのか見ていないのか、はっきりしない。
それはそうとして、
教科書収載作品の作者と会って話すのはおそらくはじめてだし、
テレビに出ていたという志田未来は、若手女優でやっと覚えたセイラ役の人だし、
高山へ行ってきたこと、
さらに、桜のテーマにしたブログを何度も書いたことを含めると、
かなり強引だけれど『さくら道』とは、関係がないことはないような気がする。
サイン・サイン…だけど、著書はすでに県外の人。
本が届いたら、12月3日にサインをもらえたかもしれない本…、と書いておこう。

 

 

中村さんは「NHKこころの時代」取材においでたのだった。

大変な出来事だったはずだが、何だかバタバタしていて、ブログにもこの程度のことしか書いていない。

 

2009年(平成21年)12月30日 

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NHKラジオ 宗教の時間-「能登で思う報謝のこころ 出演:西勝寺住職 西山郷史」の1月31日朝8時半からの本放送、2月7日、夕刻6時半からの再放送、2回放送を聞いた…その顛末。

今日(8日)の夕方、ラジオを聞いたという人から電話がかかってきた。
西勝寺の電話番号をあちこちに問い合わせて、かけておいでたのだという。
放送日と当寺の名前は合っているのだが、話が通じない。
そのうち、出身大学はどこそこで、82才とおっしゃっていましたね…とおっしゃるので、
大学も年齢も(自分のことについては)何も話してませんが…と返事。
昨日の今日なのに、二つの番組が重なっておいでるようだった。
それはそうとして、

ラジオを聞く…

私も子供時代は、連続ラジオ番組ーコロの物語、赤銅鈴之助、新諸国物語紅孔雀、同笛吹童子、一丁目一番地などーが始まる時間近くになると、どんなに缶蹴りや一人バッターに興が乗っていようと、ピターっとやめてラジオを聞きに家に帰ったものだった。
ただ、能登の先端部では、NHK民間放送、いずれも富山・新潟からの放送しか受信出来なかった。
だから、カミイチグンとかヒガシトナミグンとか皆目見当のつかない地名を覚え、
学校で先生が石川県にはノミグンシラミムラ字カユカユというところがあるとおっしゃるのを本当だと思っていたくらい、石川に関しては情報を持たなかった。
それから、何十年…か経ったが、ラジオの電波事情はそう変わっていないようで、
NHK富山第一KNBはかなりビシッと合うのだが、NHK第二放送は聞くことが難しい。
部屋にあるラジオは、絶えず微調節しないと雑音の方が大きくなってしまう。
比較的いいのはカーラジオで、どちらともいえない2カ所の第二放送が聞き取れる。ややいい方に周波数を合わせておいて、朝8時半を待った。
パソコンに取り込める録音機は持っているのだが、使ったことがない。
この放送を機に、機器の扱い方、ラジオの周波数あわせなどいろいろ覚えてやれ…という気分だった。
カーラジオの方は早めに録音をとりだし、部屋のラジオからはいわゆるテープ録音をした。
聞いている最中に、外浦の某所から電話がはいる。
周波数が合わせられなくて聞き取れない、それで、ゴインジョさん(私のこと)はおってかね…?
ラジオで聞くことが出来ないので本人と話そう…と思われたようだ。
こっちだって始めて聞くのだし、耳をとぎすませている最中…。
電話でお元気ですか…などと、やっている場合ではない…
しゃべった当人が言うのはおかしいのかも知れないが、大変上手に編集(中村儀朋ディレクター)されていた。
となれば、電話の音、前後が入ったままで編集できない録音ではなく、カーラジオでビシッと録音しようと、再放送の7日を待った。
夕方の放送は、朝より音が揺れるし、外国の電波が混じることがある。
それは仕方がないとして、時間通り、ピターっと録音を始めたところ、途中で「シートベルトをおつけください」と音声が入ったので、暗い中、あわててボタン押したら、「○○機能は設定されておりません。~してください」と、とんでもない声が録音されてしまった。
後で聞いてみると、
ごそっきょうの「ご」は御、「そっきょう」は「そうきょう」がつまったもので、「そう」は山の下にーシートベルトを…ー
になっていた。
近代機器はおせっかいすぎて、録音さえしづらい…ということも学んでしまった。