能登教区第10組同朋会推進員協議会 定例研修会-3月27日(2018年度平成30年度第4回)、能登沖地震の日
彼岸も過ぎ、親鸞聖人お逮夜日に年明け第1回目の能登教区第10組同朋会推進協議会・定例研修会が今月からはじまる。
この学習会は、推進員養成講座で学習し、後期の本山研修を修めた人たちが推進員として定例講座を持っていたものだった。
前々回の養成講座の講師・故・安宅山さんが、事情は分からないが講座の途中で講師を降りられ、私が引き継いだ。
本山研修では、本山教導が担当するはずなのだが、時々、地域事情を知らない若い補導さんたちともめたという話を聞くことがあり、その時と、その次、それに毎年門徒会で交流のある12組(旧鹿島町、羽咋市の一部、鳥屋町)教区と、3回本山教導役を担当した。
そこで育った推進員さんを中心として、定例研修会が続いているのである。
私が依頼された時の会長さんは、講師選びによほど苦労なさったのか、遺言のように、死ぬまで講師をやってくれ・・・とおっしゃった。
組の行事なので、会所も移り変わったりすればいいのだろうけど、1週間前に出す会員向けの案内も私がやっている状況。
組に、誰が混じってもいい定例研修会がある、そのことを大切にして続けて行く。
それで、24日にポスターを掲示板にだした。
当日には本堂前に一枚。
2枚だけのポスターだが、推進員協議会の一行事がはじまる知らせである。
ー2007年、12年前能登沖地震ー
吉崎御坊や私たちのところでは、蓮如忌は月遅れの4月25日だが、12年前の今日25日午前9時41分、能登沖地震がおきた。
その頃、私は「観光ボランティアガイド・きらり珠洲」という会の会長もつとめていて、その日企画していた「椿探索の旅」の出発時間10時を前にして、市役所前で雑談しながら遠方参加者を待っていた。
その時、電線がショートして火花が飛び、全ての電気が消えた!!、と思った瞬間、鉄筋コンクリート建ての市役所ビルが波打って揺れた。
すぐ、家の様子を見に行くと、墓石の笠部が鐘楼堂に跳んでいたり、すさまじいことになっていたが、後で分かった門前や輪島のように家の倒壊ということもなく、予定通り出発した。
その時に撮った写真が下の写真で、新聞社が撮影者の名も載せずに一面に載せた。
写真家・渋谷さんにもほめられた、傑作写真。
次は、
春日燈籠や織部風石燈籠が倒れ、それらはとっくに元へ戻した。
これは下の半分が欠けたので、石を台座にして残してある。
強いて言えば、災害を忘れない・・・ことになろうか。
蛙は雪の間、家の中で出番を待っている。
若いころ、ピンセット用いる丁寧な草むしりがあることを知り、連日、この庭で草むしりをした。そのうち、やや大きめの根を張った草が目に入り、段ボール一杯分をむしり終え、鼻の穴をふくらませて連れ合いに見せに行った。
芝桜だった・・・・・・。
同じ場所で埋め戻しをしたが、芝桜庭は、元は戻らなかった。
今日・25日の狸。