植物学者・小牧旌さん
最近出来た〈のと里山里海ミュージアム〉(七尾市)に小牧旌(せい)コーナーがあるというので、これから出かける際には、小牧さんを偲びながらボーッと出来る「場」になるかも知れないと思い、寄った(15日)。
最初の専門委員同士だった「珠洲市史」の時にお会いしていたなら、小牧さん68歳前後、私が30歳の時である。
小牧さんのお子さんが、前任校の宇出津高校で音楽を教えておられ、生徒指導で一緒に仕事をし、その頃調べていた能登国33観音御詠歌の採譜をしていただいたりしていたものだから、小牧さんを身近に感じており、また、可愛がってもらった。
その後の「能登島町史」「鹿島町史」の時はお互いに勤めがあって、七尾小島の小牧さん宅へ寄ることはほとんどなかったと思うが、「中島町史」の時は、ずいぶんおじゃました。伯父の家があるとすればこのような雰囲気なのだろうな、と思えるような暖かな雰囲気だったし、調査の時のいろいろな思い出話を聞くのが楽しみだった。
能登島では、小牧さんが島の小さな岬の先端海岸部で、日本にここにしか無いシダだと案内していただいたことがある。
「中島町史」の時は、車窓を眺めていたら、地蔵さんがあったと教えていただいた。
後に、「助作地蔵」(鹿島台旧三叉路)と名付けた久四郎型の典型的(※写真)な地蔵さんだった。
他にも、テクテクと歩いていて車にしか出会わないので、道をそれて交番に行き、歩いていい道なのかどうかを訪ねこと、
北方4島のどの島か(※樺太)で、膨大な植物資料を作られ、敗戦の時それを全て埋めてこられたこと、
など、色んな話を聞かせていただいた。
七尾で、ゆたっりお話しが出来、いろいろ教えていただいた小牧家は、かなり前に加賀に移られ、
ぶらり、コマキさーん!と寄るような場が無くなって久しい。
ミュージアムのコーナーに用いられている小牧さんの写真は、私の知っている小牧さんとはかなり違う。
せめて、いつ、どこで撮った、何歳くらいの写真かが分かれば、いろいろ話して下さった研究の歩みの、どれかのエピソードとつながって、小牧さんを偲ぶことができるのに・・・(私にとっては)コーナーは、活きてこなかった。
それでも、小牧さんのスケッチがあり、ノートなどもあるし、すぐ側には国分寺跡もあるのだから、豊かな空間であることは間違いない。
小牧左絵さんの採譜
『能登島町史』-鰀目・閨の獅子舞-
助作地蔵