山中温泉湯治の御文ー第一帖第十五通、[ひとこと]=道標

逗子葉山、大阪平野能登珠洲の関係者が会うことになった。
距離的には加賀温泉郷あたりがほどよい。
山中は蓮如上人湯治の御文を書かれたところだ(宗名、御宗名、当流世間の御文)。

その山中で10月9日泊まった。

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動橋 生龍山御座篠生寺。
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魯山人寓居跡
いろは草庵ー山代温泉
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山中
標高350mの水無山の山腹にある三つの岩。
天狗に似るところから、通称「天狗岩」。
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山中こおろぎ橋近くの道標
これは知らなかった。
正面

蓮如上人椿清水御□□
是ヨリ八丁  菅谷□□

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こおろぎ橋より
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同上
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蓮如上人御𦾔跡
浄土真宗本願寺派幽谷山徳性寺さん境内
椿清水。
蓮如上人が椿の杖で地を打つと、清水が湧き出た、という伝承から名付けられた。
この事跡から住職家の姓が.春木さんである。
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蓮如上人お腰掛石
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蓮如上人像
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八幡神社、三又大杉

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加州山中湯治之内書集之訖
文明第五九月下旬第二日至丁巳尅

第一帖の最後。文明五年は1473年。

笹の伝承

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動橋篠生寺の篠について『蓮如上人と伝承』(大谷派金沢別院、1998年刊、絶版)に、次のように書いた。

文明七年(一四七五)五月四日、上人が波佐谷の僧坊から吉崎に帰る途中、加賀
動橋で日が暮れてしまった。
仕方なく、一軒の農家に立ち寄り、一晩の宿を請われた。
ちょうどその時、老婆はチマキを作っている最中だったため、「どこの坊主か知らないが、ねだりがましくいまいましい」と追い払おうとした。
上人は「泊めてもらえずとも、お腹がすいているのでチマキをいただけないか」と頼むと、笹にく
るんだチマキを投げてよこした。
さて食べようとしたところが、中身は小石である。      
「それを食べたら、宿をお貸ししよう」というので、上人は「弥陀の本願に偽りがなければ、この場で笹が再び青葉になるだろう」といい、チマキ笹を地面にさして湯をかけたところ、笹は見る間に根を張り青葉となった。
驚いた老婆は、地に身を投げ伏して非礼を詫び、親子ともども上人の無二の弟子となった。粽山篠生寺の開基由来である。
笹はよい香りがする上、食べものを包んでおくと長持ちするなど、生活に欠かせない植物として、古くから尊ばれてきた。
特に変わった種類のものについては、高僧の験力と結び付いて語られることが多く、篠生寺境内に伝わる笹も、葉先が他のものとは違うといわれている。
真宗地帯の北陸では、高僧の事跡にすべきものなら、ともかく蓮如上人にしてしまうことが多い。
 このような話は上人の時代でもよく語られていたと見え、上人は『御一代記聞書』(七八箇条。以下箇条省略)において答えを出しておられる。
それを踏まえながら、このことについて上人に語ってもらおう。
「ゆでてあっても、笹が笹になるのだから不思議なことでもなんでもないじゃないか。それより、悪凡夫が弥陀をたのむ一念で、仏になることこそ、不思議なことよ」。
上人の思いは大きい。