等伯会来寺

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16日。七尾・等伯会の方々がお越しになった。
話があったときには、行程の最初に珠洲全般のイメージをの思いがおありになったようだが、
午前中は寺役・お斎で、
午後2時半からお話しした。
教え子でガラス美術館の床坊さんからもよろしくの旨の電話があり、七尾ではよく知られている団体のようで、
男話があったときにどういう団体かのお話はあったのかも知れないが、日取りだけが残っていた。
話を終えたあと、遠い親戚夫人、能登教務所で勉強会をしたときのメンバー・鳥本さん、中学校時代の先輩などが、メンバーで来ておいでたことが分かり、エッーとか、オーの時が流れた。
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この欄間の彫刻に、「能州所口大工町 酒屋三郎右衛門 歳八十四作」の墨書があり、享保二年(1717)の『能州記行』に町年寄として名が載る酒屋四郎右衛門と関係がありそうな人物である。
仮に享保2年に彫ったものとすれば300年前の作品になる。
こちら側の視線からは「波間の雲」だが、向こう側からは向き合う二頭の獅子・花鳥が彫り込んである。
欄間を見ながら本堂に入られる方はまず無い。戸障子でもあれば、いったん欄間と対面なさるのだろうけど、当寺では廊下にも畳を敷いた。
そのため、足元に注意が向き、欄間がどうなっているか気づかないのだ。
大概、両面の対比に目をむいて驚かれる。
それを演出している場である。
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パンフ、当日頂いた。
宗玄へ行ってきたのだったら、昨年、ここで大月みやこさんが歌った話なども出来たのに…
となると、何が何だか分からない話が、さらに混乱話になっていたかも知れない。
若山庄についてとのことだったが、反応は彫刻も含め、七尾との関係に興味を示される方が多かったので、
今、書いていて思ったのだが、横川巴人の絵を準備しておいたら喜ばれたのになぁ…。
あらためて、何事にも打ち合わせの大切さを思った。
巴人は「大菩薩峠」のモデルにもなっている。
来月の七尾図書館友の会講義に活かそう。
横川巴人さんと飯田中学校初代校長中村禎男
西勝寺蔵:巴人画
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※『夢』(横川敬雄編)で調べたら、『大菩薩峠』の道庵先生のモデルは巴人の兄、無角。
巴人は「高野の義人」(都新聞連載、明治43年~)のモデル(介山「君を描いたもの」、P123だった)。


今朝の北國新聞
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前日の14日、能登教務所で七尾・鹿島坊守会でお話ししたついでに、西条八十の「七尾まだらの碑」を探した。
食祭市場近くだと見当をつけていたので、側の公園に行ってみると等伯の像が立っていた。
西条八十碑は私の感覚では、御祓川公園・繁華街にあった。