弦哲也氏、大月みやこさんフィーバー

本日(27日)午後、こういうことに…。

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右から弦哲也氏(日本作曲者協会会長)、大月みやこさん、西山。
能登ブルース(高橋掬太郎氏書)碑まえ。

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西勝寺本堂で。
ここで、奥能登ブルースの作曲者、飯田三郎さんが昭和43年3月に講演をなさっておいでる。
ということで、ほぼ50年ぶりに大月さんが思い出の場所を訪ねられた…。
撮影の様子。

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石碑を建立なさったのが川元さんの父親。
彼も42歳の時に、父を手伝って碑の文字を刻まれた。現在92才。
かくしゃくとしておいでる

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お二人とも、譜面を見て、初めて歌、伴奏を合わされたとのこと。
マイクはなし。
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能登ブルースを歌われた時、知っておられる方はどうぞ…ご一緒に、とおっしゃり、あちこちから懐かしむような歌声が聞こえた。
弦さんの番組なので、こういうことがこれまでにあったのか、急に思いつかれたのかは分からないが、
皆で一緒に歌いましょう、と呼びかけられた。
私も、これまでドライブ中に歌を聞き、歌えるように練習してきたのだ。
歌える人のひとりなので早速、加わる。
もう一度、今度は本番風になったので、
いい記念だ。歌えなくても、出ておいで、と呼びかけた、が、
手招きしている人の相手は、歌える人たちなのだ。
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何人かは、奥能登ブルースを踊ったことがある、とおっしゃていた。
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大合唱。
気分は、弦哲也氏のギター伴奏で、大月みやこさんとデュエット。
実際は、バック大勢のひとり。
能登ブルース、のところでは声を張り上げた。

誰に焦がれて 木の浦つばき
赤く咲くやら 燃えるやら
逢うて 別れて
思いでだけに
生きる女の身がつらい
あの夜の歌 あの夜の歌
能登ブルース

別カメラ目線で

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庫裡側に座っていた人達が、多くの歌い手。
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はい、なんとか歌い終わりました。
聴衆の拍手と、歌い手たちの拍手が同時にわき起こる。
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握手を求める人人…。
ここで弦さん、もう一回歌おうと提案。
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フィナーレ。
何度も何度も練習して、ステージに立って(歌っている本人と)本番で歌い終えたような気分…。

このあと、お2人が今日の旅をまとめられた。
そこには、「啼くな小鳩よ」「ここに幸あり」コンビの飯田三郎・高橋掬太郎氏(他に「酒は涙かため息か」「古城」など)が手掛けた歌を歌った若きに日の大月さんを弦さんが讃え、大月さんが感謝なさる感動の言葉・姿があった。
拍手、ムム、場面が変わったので、したらいけないのかな…と、こころの中の大拍手をお送りした場面だった。
それは、ぜひ放送で。
放送は10月15日、朝7時~、テレビ金沢